Up | 大学組織の商品経済化 | 作成: 2008-06-01 更新: 2008-06-01 |
このとき,値段づけは根拠をもたない。 ──値段とは,売買が成立したことの<結果>である。 どだい無理なことをやっているので,どうしても世の中がおかしくなる。 この商品化のいちばんの無理に,人 (労働力) の商品化がある。 「法人化」の国立大学は,現在,この無理難題に取り組んでいる。 「すべての教職員に値段をつけよ」が,行政からの指示になっているわけだ。 教員の値段づけは,教育,研究,学内雑務,その他の値段の総和として出す。 ここで,値段のデコボコは人為的につくるしかないのだが,これが難しい。 ──「難しい」の意味は,「問題が難しい」ではなく,「どだい無理なことをやっている」である。 たとえば,教育。 教育は,「地道・確か (steady)」が価値的そして能力的にいちばん高位である。 しかし,こんなのは瞥見でわかることではない。 一般に,<程度>で測ることになるものは,値段づけが無理となる。 結局,「やっている・やっていない」で表せるような項目を立てることになる。 商品経済は,<偽>を文化として伴うものになる。 「偽」の意味は,「商品売買で得するために商品の内容を偽る」である。 なぜ<偽>が成立するかというと,商品の値段というものがそもそも<偽>を本質とするものであるからだ (「値段づけは根拠をもたない」)。 「教職員に値段をつける」,そのために「教育,研究,学内雑務,その他に値段をつける」をやるとき,商品経済の<偽>の文化が大学の中に醸成されるようになる。 「国立大学」の「国立」の意義は,この<偽>を発生させないことであった。 翻って,「国立」の否定である「国立大学法人化」は,理の当然として,<偽>の文化の醸成を自ら見込むものとなる。
国立大学は,この<偽>の文化の醸成のかわりに,何を得るのか? 行政から褒められること以外には,何もない。 なぜこんな割の合わないことに,国立大学も行政も突入していったのか。 つぎのキャンペーンにのせられたのである:
ここで「成果」とは,「大学・国にとってよい成果」のことである。 この競争がどのような競争になるかを,去年の世相漢字が示している :「偽」。 また,教員の場合,プライドがあって,「馬の鼻先にニンジン」的な誘いには却って乗っていかない傾向がある。 ──「競争」施策が空振りになってしまう。 われわれは,つぎのことをよくよく理解しなければならない:
必ず,歪み (「偽」) を伴う。 「競争」のことばは,この歪みを折り込み済みにしたところで,使うのでなければならない。 この計算ができない者は,「競争」政策のリーダシップをとってはならない。 |