Up | 要 旨 | 作成: 2009-09-30 更新: 2009-09-30 |
翻って,「自分が育つためにみんなで育つ」の無くなることが,組織の死である。 組織は,「自分が育つためにみんなで育つ」を行う。 この中に「身びいき」がある。 「身びいき」は「組織」の論理的含意である。 翻って,「身びいき」が無ければ,それは組織ではない。 しかし,組織の成長にともない,「身びいき」は保ちにくくなる: しかしこれは,自分の条件の否定に他ならない。 すなわち,組織が「公平」になるとき,組織は組織員のためのものでなくなる。 実際,「組織員は公平に選抜すべし」となるが,このときの「公平」の内容は,公募であり,そして優秀者の選抜である。 しかも,「公平」を「広く公募」に進めれば,地域や国を越えることになる。 結局,グローバリズム,能力主義,業績主義が,「公平」の意味になる。 そしてこの「公平」が行われる形は,「優秀者の居場所」業 (テナント業) である。 「公平」は,短絡思考である。 自分の利得のために立場を利用して行う「身びいき」人事を防ぐ考え方は,「公平」ではなく「人事の透明性」である。 ここで「人事の透明性」とは,「身びいき」を透明にすることである。 しかし,ひとは「身びいき」そのものを悪にする。 そして「身びいき」が悪にされるとき,「人事の透明性」は「公平」と短絡される。 人事の「改革」は,「公平」の短絡思考が主役になりやすい。 「改革」気分は,多くの場合,罠である。 それは,「改革」が,<悪 -対- 善>の対立図式を立て,自分を<善>の側におくものだからである。 ──この対立図式はナンセンスなのだが,このナンセンスに思いを至らせないところが「改革」気分の「改革」気分たる所以である。 |