Up 忙しさと関係なく仕事がつくられる 作成: 2007-11-30
更新: 2007-11-30


    国立大学の「法人化」は,「法人化」に取り組んでいることの証を国立大学が文科省に示し,文科省がこれを「評価」するしくみになっている。 そして,「法人化」に取り組んでいることの証づくりの一つに,「法人化への取り組みとして,このようなプロジェクト・事業を新規に興している」がある。

    大学のスタッフには,「プロジェクト・事業を新規に興す」仕事がつぎつぎと降りてくる/回ってくる。

    新しい仕事がつぎからつぎへと増えるわけだから,この状況への対応を考えることができるのは,「昔は余裕があった」タイプの者ということになる。 既に前から忙しく飽和状態にある者にとっては,この状況はほんとうに困ったものである。

      「新しい仕事がつぎつぎと増える」ことへの対応には,「対応する」と「対応しようとしてもできない」の2つがあるのではない。 「対応すべきでないから対応しない」もある。
      ただし,「対応すべきでないから対応しない」を集団力学の中でやるのは,コスト (労力と時間) 的に大変なことになる。 実際,「新しい仕事がつぎつぎと増える」に適当に付き合う方が,コストとして低い場合が多い。


    新しい仕事は,「忙しい」と関係なくつくられる。

    「忙しい」は,自明の概念ではない。
    他人の「忙しい」は,わからない。 自分の知らない職業の忙しさ,自分の知らない役職の忙しさは,わからない。

    油と百姓と大学教員は絞るほど出る」と思わせる何かが,大学教員にはあるということだ。


    ちなみに,(「百姓と大学教員」の符合ではないが) 大学教員の「忙しい」には,開墾・耕作の仕事の「忙しい」と同型のものがある。

    教育・研究は,フィールドをつくり,運用・管理する。 これは,開墾・耕作の仕事と似ている。
    開墾は,石がごろごろでひどく骨が折れる。やってもやってもきりがない。 畑の形になっても,これの運用・管理が毎日の仕事になる。 欠陥・改善点が日々発見され,またトラブルが続発する。
    こうして,だいたいが働きっ放しという状態 (慢性的過労) に陥る。


    対応できない者は,どんなふうにアクションすることになるか?
    「無い袖は振れない」である。
    実際,「法人化」バブルの時代には,「無い袖は振れない」をやるのが正しい。

    「無い袖は振れない」は,見識である。
    バブルの時期を過ぎて時代が正気を取り戻すとき,この見識が理解される。