Up 「業績評価」の問題の核心を外してしまう 作成: 2009-04-19
更新: 2009-04-19


    国立大学は,教員構成を「個の多様性の実現」と重ねて考えてきた。
    個をベクトルに喩えれば,多様な方向のベクトルを揃えるということである。

    「改革」施策の「業績評価」は,各ベクトルに対し,「改革」施策に添う方向成分を計測しようとする。
    多様な方向のベクトルに対してこの「業績評価」を行えば,ゼロやマイナスの値も出てくる。 ゼロやマイナスの値は,おどろくことではなく,あたりまえのことである。

    「業績評価」の問題の核心は,つぎの2点である:
    1. 国立大学の教員構成が「多様な方向のベクトルを揃える」であることを,理解しない者がいる。
    2. 「業績評価」が,「多様な方向のベクトルに対して,一つの方向の成分を計測する」であることを,理解しない者がいる。

    したがって「業績評価」の問題は,詰まるところ,教育の問題である。
    Aは,「国立大学」の意味が学ばれていないという問題。
    Bは,ベクトル (高校数学の一主題) が学ばれていないという問題。

    A,Bを理解しない者は,つぎの2タイプの者に進む:
    1. 評価の値が低い者は,怠け者である。したがって,発奮させ,働くように仕向けねばならない。」というイデオロギーをもつ。
    2. 評価の値が低い者は,弱者である。したがって,守ってやらねばならない。」というイデオロギーをもつ。
    そして,「業績評価」の問題の核心を外しているということでより厄介なのは,後者の方である。

    かわいそうな障害者を守ろう」「障害の姿が外に露わにならないように,隠してあげよう」「横一線に手を繋いで,だれが障害者であるかわからないようにしよう」を言う人道主義者が,最も直接的に障害者差別をしていることになる。(「個の多様性」論は「障害者」論と同型)
    同様に,「業績評価」に対し「評価の値が低い者は,弱者である。したがって,守ってやらねばならない。」を言う者が,最も「業績評価」を信じている者ということになる。