Up <金 → いい思いをする>の幻想 作成: 2009-06-07
更新: 2009-06-07


    大企業や大金持ちばかりがいい思いをして‥‥」のフレーズが選挙カーから流れてくる。 金持ちを妬む習性を「庶民」に当て込み,これを用いようというわけである。

    金持ちを妬む習性は,普遍的なものではない。
    実際,ロジックとして,<金を中心に展開されるゲーム>を人が自分の<生きる>形にするようになってからのものである。

    そしてこれまたロジックとして,金持ちになることは,過剰なものをかかえて生きることであるから,うらやましい境遇ではなく,その逆の,たいへんな境遇ということになる。
    「金 → いい思いをする」は,幻想である。 この幻想に囚われ,金持ちに対する妬みを習性にする者は,そのことで自らを不幸にする。
    実際,「幸福」の話は,いつも金から解放されているところの話として語られる。

    人は,己れをつゞまやかにし,奢りを退けて,財を持たず,世を貪らざらんぞ,いみじかるべき。昔より,賢き人の富めるは稀なり。
    唐土に許由といひける人は,さらに,身にしたがへる貯へもなくて,水をも手して捧げて飲みけるを見て,なりひさこといふ物を人の得させたりければ,ある時,木の枝に懸けたりけるが,風に吹かれて鳴りけるを,かしかましとて捨てつ。また,手に掬びてぞ水も飲みける。いかばかり,心のうち涼しかりけん。
    孫晨は,冬の月に衾なくて,藁一束ありけるを,夕べにはこれに臥し,朝には収めけり。
    唐土の人は,これをいみじと思へばこそ,記し止めて世にも伝へけめ,これらの人は,語りも伝ふべからず。
    (『徒然草』第18段)