Up 「教育実績に対する自己評価」の構造 作成: 2008-08-22
更新: 2008-08-22


    たいていの教員は,「自己評価」フォームの各項目に対し書くことがない。 理由は,「自己評価」の構造にある。
    この構造の対象化/同定は,「微分・積分」の概念になぞる形が簡単である。──以下,この説明。


    「自己評価」の各項目には,自分の仕事内容の変化を書くようになっている。
    そして,この変化の大きさが,評価対象になる。
    翻って,自分の仕事に強いて変化をつける意味がない者は,無記入となる。──特に,評点がゼロになる。

      例えば,孔子のような偉い人は,評点がゼロになる:
        四十而不惑 五十而知天命 (『論語』, 為政第二 4)


    「不惑・知天命」の状態を物理の運動に喩えれば,等速運動 (「速度変化なし=加速なし」)。
    運動体の速度と加速度の関係は,つぎのようになる:


    高校で学習した「微積」の知識を用いるならば,速度のグラフから加速度のグラフを導くのが微分で,加速度のグラフから速度のグラフを導くのが積分。


    さて,自分がもてる速度には,自ずと限界がある。また安全速度というものがある。
    加速を続ければ,速度はすぐに限界速度/安全速度を超える。
    翻って,「加速を続けられるのは,速度が限界速度/安全速度を超えない間」ということになる。



    学校での微積分の指導は,難しい。
    難しくしているものに,「カラダが微積分の事実に抵抗する」というのがある。 加速度のグラフから速度のグラフを概略描くことは,学校教員養成課程数学グループの学生でも,ほんとうにできない。

    実際,「自己評価」フォームは,つぎのことが理解されていれば出てくるはずのないものである:
    • 加速の値 (品質の変化) は,速度の値 (品質の高さ) を表さない。
    • 速度の限界に近いものほど,加速の意味/余地がなくなる。
    • 限界速度/安全速度のあることが,加速を続けられる期間 (「自己評価」を続けられる回数) を自ずと決定する。──この回数は,僅か (数回) である。

    《「自己評価」を続けられる回数は,僅か》が事実かどうかは,「自己評価」をリサーチすることで確かめられる。(「自己評価」は公開されることになっているので,これのリサーチをすることができる。)



自己評価フォーム