Up 「大学執行部は大学なり」 作成: 2008-05-22
更新: 2008-05-22


    映画の一シーンの話なのかも知れないが,昔聞いたつぎの小話がいまも記憶にある:

      ナチ政権のドイツの話。
      新兵に上官が「第三帝国のつぎは何か?」と問う。
      新兵が「第四帝国」と答えて,上官にぶんなぐられる。
      第三帝国は永遠でなければならないからだ。

    いま改めてこれは何の話かと考えてみるに,
      「強権は,国との同一化を自ら強いられる」
    の話だとするのがいいように思う。
    ちなみに,
      「朕は国家なり」
    というのもあった。


    学校で勉強してきた者なら,政権と国家の区別ができる。
    政権には「暫定的」の含意がある。
    そして,自らを「暫定的」と理解する政権は,強権をやらない・できない。

    強権をやるためには,自分を絶対で永遠のものにしなければならない。
    強権が終わるときは,革命で殺されるときである。 殺される恐怖が,さらに強権に拍車をかける。 (例:ミャンマー軍事政権)


    「法人化」の国立大学の執行部になるとは,「強化された学長のリーダシップ」を執行する役になるということである。よって自動的に,強権をやる者になる。

    強権をやるためには,自分を絶対化しなければならない。 「自分の言うこと・行うことは正しい」を自分に任じなければならない。
    この「でなければならない」は,やがて「である」になる。 すなわち,「自分の言うこと・行うことは正しい」に慣れる。
    「大学執行部は大学なり」

    「大学執行部は大学なり」の執行部は,自分の不都合を「大学の不都合」にする。
    自分に都合の悪いことをさせないために,「大学のためにならないことをさせない」という合理化を行う。
    言論統制は,このようにして起こってくるものの一つである。