Up | 「言論統制に与しない」は,勉強の所産 | 作成: 2008-05-22 更新: 2008-05-22 |
自由主義/デモクラシーを体質にすることを,国民の要件に見なしているからだ。 そして,この自由主義/デモクラシーの中心に,言論の自由をおく。 「言論の自由」の意味の深い理解は,「言論統制に与しない」の形に顕れる。 学習が浅ければ,「言論統制に与する」をやる確率が大きくなる。 「言論の自由」はよく使われることばであるが,観念的に使われていることが多い。 「一人ひとりを大事にする」「人を奴隷となす圧政を招かない」のようなヒューマニズム感覚で使われる。 実際,公教育での「言論の自由」の扱いは,この程度である。 ヒューマニズム感覚の「言論の自由」は,簡単に潰されてしまう。 「言論の自由」を学習するとは,つぎのことを学習すること:
<多様な個>の解発が,社会の成り立つ条件である。 よって,言論の自由は,保守することが必要になる。 この認識・理解のない者は,「言論の自由」を自分の通常の社会参画の問題にできない。 ──特に,「言論の自由」の問題に対しては傍観者になってしまう。 |