Up | 「改革」のつもりで破壊をやってしまう | 作成: 2009-05-09 更新: 2009-05-09 |
「リーダー」は,「従来型」を改革しようとする。(C) 正しい方向を示すのは,自分たちである。(B) 「従来型」を特定し,改革の方向を定め,施策を立てるという一連の思考作業を,ことばのロジックで行う。(C) 「改革」のアクションを向ける先は,複雑系である。 ことばのロジックによる思考は,複雑系をとらえられない。 「リーダー」は,複雑系である対象を,自分のロゴスに合った単純系に解釈する:
□□の行動は,複雑系のバランスを一挙に崩すものになる。 こうして,「改革」はシステムの破壊になる。 例えば,害虫を駆除しようとして,地域一帯に殺虫剤を撒く。 目論見通り,害虫を駆除できた。 しかし,その害虫は,生態系のバランスの重要な要素になっていた。 その害虫が抜けたことで,生態系は一挙にバランスを崩す。 また,散布した殺虫剤が,他のことに影響して,想定しないことが被害の形で起こってくる。 農政や教育行政が好例になるように,役人が「改革」として発動するプロジェクトは,世の中をただかき混ぜグチャグチャにして,終わりになる。 机上の計算は,農業や教育のような複雑系を,自分のロゴスに合った単純系に解釈する。 施策にして実行すれば,当然のこと,システムの破壊になる。 「法人化」の国立大学の「リーダー」は,ことばをロジカルに紡いで,つぎの公式を立てる:
学生が,<低い評点を取らずに済む履修の仕方>に知恵を使うようになる。 特に,専門科目は内容が難しくなるので,可能な限り履修を避けるようになる。 また,専門教育では体系的/系統的な科目構成が必要になるが,学生の履修が窮屈になると,この構成を保てなくなる。すなわち,I, II, III, IV のように順序性をつけていた科目は,どこから履修してもよいことにして,内容を一回性のものに改めることになる。 結局,つぎのようになってしまう:「GPA・CAP の導入 → 専門性の低い学生をつくる」
「法人化」の国立大学の「リーダー」は,ことばをロジカルに紡いで,「コア科目」を立てる。 この結果は? コア科目は,「何をやってもいいので,担当を引き受けられたし」調で,教員の専門性を問わない順番担当/オムニバス担当みたいになる。 教員の専門性も授業内容も問われない科目──結局,どうでもいい科目──が,大学の科目ということになる。しかも,最優先で履修しなければならない科目の位置づけで。 「法人化」の国立大学の「リーダー」は,ことばをロジカルに紡いで,課程再編の一環として「小学校教員養成専一大学」を立てる。
専門科目は副免用であるが,実際学生が副免を取れるよう,これをとっておく。 専門科目を表科目から無くして,裏に回す。 それは,小学校教員養成コースでなくなる。 大学でなくなる。 |