Up 見通し不能で出たとこ勝負──経営学で合理化 作成: 2007-08-22
更新: 2007-08-22


    「教育は国家百年の計」と言われる。
    教育は百年のスパンで考えないと間違う,ということだ。

    法隆寺の建物は千年以上保つようにつくられているそうだ。
    そしてその理由が,建材になる木が育つには千年以上必要。
    何とも立派な話である。
    ──昔の人は偉かった,とやはり言いたくなる。


    「百年の計」は,半端なアタマではつくれない。
    半端なアタマは思考停止する。
    出たとこ勝負に出て,「なんとかなるだろう」を決め込む。

    「法人化」の国立大学は,「百年の計」の哲学を捨て,出たとこ勝負をやる。
    これができるのは,「このやり方はオーソライズされている」という思いがあるからだ。
    どこにオーソライズを見ているのか?
    「スピード感」「業績志向・成果主義の導入」を述べる行政有識者会議委員/経済界であり,そのことばがのっている経営学である。


    こんな牽強付会がどうして起こってしまったのか?
    「百年の計でなければ間違う」という認識を,いままで「国立大学」に対してもっていなかった。これが最大の理由である。
    自分の空白部分を,これまで馴染みのなかった経営学で突かれたものだから,すっかり騙されてしまった。 「文明開化」みたいな感じになったわけである。