Up 失敗責任が問われない構造:位階組織・担当交替 作成: 2007-08-23
更新: 2007-08-23


    公的機関では,組織的な失敗や背任は,責任が問われない。
    嘘や隠蔽も,通用する/許容される。
    つまり,公的機関の組織的失敗/背任に対する責任問題化は,最初から諦められている。

    なぜ,諦められているかというと,慣例に従った者と,上司の指示に従った者が見出されるだけだからだ。
    日本は,「従属的立場からの失敗/背任行為」に寛容であることを風土にしている。
    「なぜ従ったのか!」のような詰問はしない。
    「従ったのなら,しようがない」になる。
    つまり,「組織には主体は存在しない」という組織観が持たれているわけだ。


    さらに,担当者が任期によって交替していく。
    日本では,慣習として,担当交替を「責任問題に対する時効」としている。


    「法人化」の国立大学もこれに同じ。
    「民間企業を手本に」を唱えながら,責任問題に関しては「公的機関を手本に」である。

    経済主義や大衆路線で国立大学をくだらなくしている者たちは,将来に対する責任を考えないで済むから,そんなことをやっている。
    自分の任期中だけを見ているわけだ。
    将来にわたる責任を告げられたら,とてもこんなやり方はできない。
    自分のアタマの弱さを認めることから出発して,しっかり勉強に取り組み,慎重に「百年の計」を計算しようとするだろう。(教員であれば,執行部役員の立場においても「研究」の方法論に立ち返るということだ。)

    こういうわけだから,国立大学の「法人化」としていま起こっていることに対し責任論を考えても無駄である。
    「トップにおかしなことをさせない」をスタンスにして,「チェックを怠らない・根気を保つ」をするのみである。