Up | 「有識者会議」の意味 (機能・目的) | 作成: 2009-09-09 更新: 2009-09-09 |
「学生犯罪」「教育のセクハラ・アカハラ」というテーマで,なぜ「有識者会議」なのか? 教員養成系大学であれば,この専門性は自分の守備領域の中にある。 要点は,「有識者会議」というものの機能・目的である。 「有識者会議」は,ショー (show) である。 外に見せる (show) ものとして,企画される。 外に見せたいものがあり,それをその通りに見せるものとして「有識者会議」を立てる。 この意味から,教員会議は「有識者会議」にならない。 教員の専門性がいかに高くとも,それは「有識者」とは無関係である。 教員の専門者会議は,問題を根底的に論じるようになる。 大学トップにも飛び火することになる。 「有識者会議」は,戦略アイテムである。 自分を合理的な者・確かな者として外に見せるために,「有識者会議」をつくる。 政策を合理化すること,自分の努力を外に見せることが,目的である。 そして「報告書」が,「有識者会議」という企画の成果である。 「有識者会議」の「報告書」は,報告書以上のものである。──このことに注意しなければならない。 この「以上」を説明するには,「言語レベル」の概念を使うと便利である。 すなわち,「報告書」の言語は,シンボルとしての言語ということになる。 シンボルとしての言語とは何かというと,念仏の唱名が端的な例。 それ自体がありがたいのである。 さて,法人化の国立大学は,「有識者会議」を戦略アイテムに用いるところとなる。 なぜか? 要点は,「法人化」の第一義であるところの「学長の強力なリーダシップ」である。 「法人化」の大学トップは,この第一義に忠実に,ボトムアップを退けることをやってきた。 この結果,ボトムアップが必要なときにボトムアップを求めることができないカラダに自らしてしまった。 ボトムアップの要点は,大衆の自発的合意形成である。 これを退けたために,大衆の合意は強制のものになる。 しかし「強制」は通用しないので,「権威を示し,大衆にこれを頂かせる」を方法にする。 「有識者会議」は,このようなものの一つである。 しかし,国立大学の場合,「有識者会議」はこの意味の戦略アイテムにはならない。 大学教員というものが,それぞれ一家言を持っていて,権威を示されればそれを頂くような大衆には,なかなかなってくれないからだ。 |