Up 委員会の立ち上げが裏目になる場合 作成: 2008-05-30
更新: 2008-05-30


    大学執行部は,自分の意向が通った施策を得てこれをトップダウンするのに,「委員会」という方法を用いる。 しかし,「委員会」は裏目に出てしまうかも知れない。
    執行部にとって,「委員会」を使うことは賭けである。

    「委員会」が裏目に出るとは,どういう場合か?

    執行部が想定している形は何か?と,逆に考えてみるとよい。
    執行部が想定している形は,「執行部方針は変えられないものとし,委員会の良心のアリバイづくり的な文言を加えた作業報告書が上がってくる」というものである。
    執行部は,<委員会の良心のアリバイづくり的な文言>に配慮する風も見せながら,「委員会提案を受けた施策」をトップダウンする。


    「委員会」が裏目に出るとは,委員会がつぎのようなリアクションを示してくる場合である:

    • 「よろしくお願いします」が通じない。
    • 「執行部方針は変えられない」という思いをもたない。
    • 「落としどころ」という考えをもたない。
    • そして,執行部方針の意味・理由を,原理論的 (=学術的) に問いただしてくる。

    執行部は,問題を学術的にやられると,万事窮する。
    なぜなら,学術的に思考して施策をつくっているわけではないからだ。
    没学術のご都合主義や,横並びや,天の声の読み取り (例えば,『在り方懇・報告書』(2001) の読解) で,施策をつくっている。

      「法人化」の国立大学の最大の教育問題は,大学教育が学術的に考えられなくなったことである。 「改革」や「生き残り」のことばを唱えることが「賢い」の意味となって,ご都合主義的にバタバタやることがよしとされる。
      ちなみに,「生き残り」を本当に考える形は,「学術的に考える」である。 ──「法人化」の国立大学でのトップダウンの体(てい)は,反照的に,大学教員の「学術」の底の浅さを示している。