Up 「小規模クラス」 作成: 2014-04-10
更新: 2014-04-10


    組織は,「だれかには都合がよいかも知れないが,他の多くの者には都合が悪い」ものが,定まってしまうところである。

    ここに,「小学校○○科教育法」を小規模クラス (「3または4クラス編成」) にすることが,「改革」として進められている。
    「小規模クラス」は,「だれかには都合がよいかも知れないが,他の多くの者には都合が悪い」ものである。
    しかし,これが定まることになる。

    「小規模クラス」を「正論」にする者がいる。
    それはきまって,「小規模クラス」が都合がよい授業形態を,普遍化している者である。

    「小学校○○科教育法」の授業は,多様である。
    よって,「小規模クラス」 は,ある授業形態をする者には都合よく,ある授業形態をする者には都合が悪い。
    「だれかには都合がよいが,だれかには都合の悪い」になる。

      テレビの「ハーバード大学○○教授の講義」は,「小規模クラス」が都合が悪い場合である。


    わたしは,「小学校算数科教育法」を担当するときは,「小規模クラス」を都合が悪いとする者である。
    わたしの授業形態は,2クラスでも4クラスでも同じである。
    4クラスをひとりでやるとなると,同じテンションの維持が難しい。
    それより先に,疲れてしまう。
    かといって,別に一人を得て分担するのは,得るのが面倒くさいし,そしてこの分担の意味は,「方向性・手法・内容のまったく真逆な授業を別に設ける」である。

    問題はクラスの数だけではなく,クラスのサイズも問題になる。
    「1クラス6,70人」は,「だれかには都合がよい」というだけのものである。
    わたしは,「中学校数学科教育法」を,模擬授業にしている。 これは20名が適正規模になる。
    「6,70人」は,わたしには中途半場なサイズであり,意味のないサイズになる。


    「小規模クラス」は,つぎのように唱えるのが行儀である:
      わたしの授業形態では,小規模クラスが都合よい。
       よって,これを行いたい。

      わたしは授業力が低く,授業内容がまだよくできていないので,
       小規模クラスが都合よい。
       よって,これを行いたい。
    ここからは,「すべて小規模クラスにせよ」は出てこない。

    「小規模クラス」は,「if ‥‥, then 小規模クラス」の形式で述べるものである。
    ところが,これが権威を背負って出てくるときは,「if ‥‥, then」がとられて「小規模クラス」だけになる。
    これは,「小規模クラス」を都合よしとする者がつぎのように唱えているのと同じである:
      わたしの授業形態は,普遍的である。」
       この授業形態は,小規模クラスを要する。
       よって,クラス編成は小規模クラスで統一すること。
    このことをよくよく吟味すべし。