Up | はやりに惑わされる | 作成: 2006-01-10 更新: 2006-01-10 |
それは,教育の言論における優勢劣勢の様に他ならない。 はやりは,マクロに見れば,いわゆる実質陶冶と形式陶冶の間の振り子運動になっている。 わたしの専門の数学教育では,およそ 20年周期で振り子が振れていた。(過去形で述べるのは,ここしばらくの状況についてはきちんと押さえていないため。) わが国の学習指導要領でも,この振り子現象が認められる。 「振り子」現象は何を意味するか? 端的に,教育学者が通時的 (歴史的)・共時的 (分野横断的) に視野の狭い仕事をしているということだ。 「過去に行われたことがありその後別の方法に替わられている」「あるところでは行われているが別のところでは退けられている」事例を,その理由とともによく知り・理解していれば,単純な振り子運動にはまることはない。 ちなみに,札幌校/北海道教育大学の新課程は,もろに「形式陶冶に振り切れた振り子」に乗ってしまった。 コア・カリキュラムの形を取り入れ,総合的学習をベースにするような課程を組み立てた。この結果,教科教育がズタズタになり,各教科で独自に手当しなければならなくなった(註)。 はやりに惑わされないためには,教育についての確かな知識・理解,経験,そして哲学が必要だ。(§ デモクラシーと教育) 北海道教育大学の教員は,教育のプロフェッショナルとして,教育に対する見識はとうぜん高いものがある。惜しむらくは,全体的に,はやりを戒める気概に乏しい。相手に気兼ねして,はやりに踊らされた行為を黙認する:
大学教育の改革が組織風土の根本的改革を含意する所以である。
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