Up | 「生き残る」を「生きる」とイコールにしてしまう | 作成: 2006-09-29 更新: 2006-09-29 |
「当座をしのぐ」 「ひとの評価を窺い,それの求める形へと自分を変える」 このように生きることを「がんばっている」とし,そうでないのを「がんばっていない」にする。 しかし,冷静にこの有様を眺めるならば,所詮「周りに振り回されているだけ」。──例えば, 「創業者の夢・理念はどこにいった?」模様だ。 国立大学評価委員会/文科省が行う「大学評価」は,評価主義/成果主義/競争主義に立っている。すなわち,
「当座をしのぐ」 「ひとの評価を窺い,それの求める形へと自分を変える」 ような生き方を大学に見ている。 実際,大学側も,いまはこのような生き方を,「大学としてがんばっている/まじめに取り組んでいる」とイコールに見ている。 したがって,ひとおよび組織/機関の在り方はこのような形だけではないということに,改めて気づいておく必要がある。──「何でこんなことを言わねばならないのか」の感はあるが,大学の現状を見るとそうも言っていられない。 国立大学は,文化の創造/発展的継承と教育を合体させて行う場である。 この事業は,ロング・スパンで,そして本質指向で考えねばならない。 特に,つぎのような生き方を真似してはならない:
「当座をしのぐ」 「ひとの評価を窺い,それの求める形へと自分を変える」 特に,「評価」というものの捉えを,しっかりさせる必要がある。 評価は,あくまでも,参考にするもの。 「評価」が求めている形の通りに自分を変えるのは,国立大学のとる方法ではない。 国立大学は,「消費者の求めるものをつくる/売る」「行政の求めることを行う」を本位とするのではない。 |