Up 検閲を指令する側の心理 作成: 2007-09-07
更新: 2007-09-08


    現前の「シラバス検閲」については,いろいろ論じても詮無しというところがある。 というのも,「シラバス検閲」は,集団心理のやっていることであるからだ:

      自分のやっている異常なことを異常なことと意識しない
      心的状態に,集団で陥っている。

    この集団心理は,「異形狩りの集団狂気」である。


    「異形狩りの集団狂気」は,つぎの構造をもつ:

      恐怖の対象がある。
      これの怒りを買わない行動を皆が一緒にとらねばならない,と考える。
      この全員一致行動に入ってこない者 (異形の者) がいる。
      恐怖の対象の目にはいる前にこれを始末しようということで,異形狩りをする。

    自分のたちの異常行動を異常と意識しない。ゆえに「集団狂気」である。


    「シラバス検閲」での「恐怖の対象」は,「国立大学法人評価」を担当する行政の役人である。
    かれらは,国立大学の目にはつぎのような姿に映る:

      国立大学から上がってきたシラバスのプリントアウトに対し,すべてが統一フォームに適っているか1頁1頁目を通す。
      統一フォームを逸脱したシラバスを見つけると,大学の評価点を減じる。特に,運営交付金を減じる。

    国立大学は,かれらを怒らせないようにということで,つぎのことをする:

      ウェブページのすべてのシラバスをプリントアウトし,
      それのすべてをチェックし,
      異形を駆逐する。

    これを「国立大学とは何か?」「国立大学の教育とは何か?」の問いをまったく閑却した体で行う。
    科目数は千単位,プリントアウトした紙の枚数はそれを数倍したものになる。


    まともな神経のやることではないが,「恐怖心から発している」ということでこれは理解される。 翻って,恐怖の対象が心を占めている限り,この「まともな神経のやることでない」ことは続く。

    ──したがって,つぎの問いが重要になる:

      国立大学の思い描く「役人」像は,実像なのか?
      行政側は,このような「役人」像を望ましいものとしてよいのか?


      全体主義を進める側の心理