Up 合理化の心理 作成: 2007-09-03
更新: 2007-09-03


    シラバス検閲のもとになっている『シラバスの点検・修正に関する依頼 (教員用)』(教育研究委員会, 2007-07-25) には,「シラバスの点検・修正」の意味がつぎのように述べられている:

      シラバスについては,昨年度に平成19年度開講の全科目にわたる記載の徹底をお願いしたところですが,必ずしも充分に達成されているとはいえない状況にあります。シラバスの見直しと改善は本学の中期計画番号 29 でも挙げている目標であり,来年度に予定されている法人評価 (暫定評価) に関連する課題です。

    この「依頼」が「検閲」に変わるのは,これの2ページ目に統一フォームが示されていることと関係している。 問題が,「シラバスがつくられているかどうか」から「シラバスが統一フォームの通りになっているかどうか」にシフトするわけだ。


    教育研究委員会の下知は,各分校のカリキュラム委員会が受ける。
    ここで,カリキュラム委員会は,統一フォームの徹底を実現することを自分の役目と受け取る。 そして,教員の作成したシラバスの検閲作業に入る。

    この段階では,「やっている/やろうとしていることの是非・問題点」にだれも考えを及ぼしていない。 そのような問題があるとは,はなから思っていない。


    強制執行は,最初につぎの問題を顕す:

      「シラバスをつくる」と「シラバスは統一フォームでつくらねばならない」の間に,ひどい飛躍がある。
      このことをどう説明する?

    教育研究委員会の『依頼』にある文言を裏返せば,「素直な説明」が出てくる:

      シラバスが指定したようにできあがっていないと,評価機関はこれをシラバスの不備と見なす。 この結果,大学が受ける運営交付金が減じられる。

    しかし,大学教員に向ける説明としては,どうにも幼稚である。
    実際,「なぜ,そうなるのか?」と返されたら,答えられない。


    そこで,「説明」に関してどうしても教員とぶつかる役回りの者は,「統一フォーム強制を合理化せねばならない」の心境になる。

    このとき使える手は,「学生のため」しかない。
    すなわち,つぎの論を立てるしかない:
      学生のためを考えるとき,シラバスは統一フォームでなければならない

    しかし,この立論は無理である。
    無理してつくれば,ウソ・考え違いを自らおかす。
    そしてこのウソ・考え違いは,守り切れない──「ウェブベース・システム」「シラバス」「学生」の<そもそも論>をやられたら,たちまち暴露されてしまう。