Up | 合理化の心理 | 作成: 2007-09-03 更新: 2007-09-03 |
この「依頼」が「検閲」に変わるのは,これの2ページ目に統一フォームが示されていることと関係している。 問題が,「シラバスがつくられているかどうか」から「シラバスが統一フォームの通りになっているかどうか」にシフトするわけだ。 教育研究委員会の下知は,各分校のカリキュラム委員会が受ける。 ここで,カリキュラム委員会は,統一フォームの徹底を実現することを自分の役目と受け取る。 そして,教員の作成したシラバスの検閲作業に入る。 この段階では,「やっている/やろうとしていることの是非・問題点」にだれも考えを及ぼしていない。 そのような問題があるとは,はなから思っていない。 強制執行は,最初につぎの問題を顕す:
このことをどう説明する? 教育研究委員会の『依頼』にある文言を裏返せば,「素直な説明」が出てくる:
しかし,大学教員に向ける説明としては,どうにも幼稚である。 実際,「なぜ,そうなるのか?」と返されたら,答えられない。 そこで,「説明」に関してどうしても教員とぶつかる役回りの者は,「統一フォーム強制を合理化せねばならない」の心境になる。 このとき使える手は,「学生のため」しかない。 すなわち,つぎの論を立てるしかない:
しかし,この立論は無理である。 無理してつくれば,ウソ・考え違いを自らおかす。 そしてこのウソ・考え違いは,守り切れない──「ウェブベース・システム」「シラバス」「学生」の<そもそも論>をやられたら,たちまち暴露されてしまう。 |