Up | はじめに | 作成: 2009-12-02 更新: 2009-12-11 |
そこで,教育課程の出来は,教員の資質・能力・ものの考え方に依存する。 教育課程は,しばしばおかしい形を現す。 こうなるときは,たいてい,教員が<自分本位>をやっていることが原因している。 <自分本位>は,人の自然な姿である。 これは自分でも気づきにくい。 また,<合理化>という心理作用によって,正当化の理屈をいろいろ紡ぐようになる。 よって,これを退けることは,ひじょうに困難である。 矯正困難な<自分本位>のことを,われわれは「モンスター」と称している。 おかしな教育課程を論ずることは,モンスターを論ずるものになる。 「モンスター」には,もともと悪い意味はない。 実際,大学は,意図してモンスターを集めている。 大学は,白紙に新しい線を引くところである。 大学の意義は,本来これである。 既成や周囲に容易に取り込まれる資質の者は,白紙に新しい線を引く場には相応しくない。 白紙に新しい線を引く場に集めることになるのは,既成や周囲に容易に取り込まれない資質のものであり,これは「モンスター」と紙一重か,あるいは「モンスター」と確実に重なる。 おかしな教育課程がモンスターのつくるものであるとき,これを退ける方法は,唯一,<論証>である。 数学は,<自分本位>を退ける方法として,<論証>を方法にしている。 したがって,数学を生業にしている者なら,自分に適用できるかどうかはともかく,<論証>という方法自体には合点がいくだろう。 そこで,本論考において,<自分本位>の論証作業をしてみることにした。 目的は,専門数学科目の適正な構成を導き出すことである。 |