Up | はじめに | 作成: 2010-04-01 更新: 2010-04-01 |
試行錯誤の歴史の中で練られ,そして至った解が,数学教育講座の伝統的な形である。 「改革」は,これを思いつきで変えてしまう。 学校教員養成課程を小学校教員養成専一課程でやっていこうというのは,思いつきである。 そしてこの思いつきで始めたものは,失敗する。 学校教員養成課程は,小学校教員養成専一課程のようにはできないのである。 そこで,本来の課程構成に改める行動が興らねばならない。 例えば,「改革」では,数学教育講座の名称が変えられる。 「数学」の名称は「小学校教員養成専一課程」に合わないという理屈で,「数学」を含む名称は,すべて「数学」が「算数」に改められる。 特に,数学教育専攻の学生グループには,「算数グループ」の名称がつけられる。 「本来の課程構成に改める行動」がどのようなものになるかを考えるために,ここでは具体的に,「算数グループ」を「数学グループ」に改める行動を考えてみる。 特に,この変更を 20xx年度の1年間を費やすものとして考えることにする。 すなわち,《20xx年度を名称変更の移行期間に定め,次年度から「数学グループ」に一本化する》という形で考えることにする。 この目的行動を行う主体は,数学教育講座である。 「数学教育講座の他にはない」という意味で,主体は数学教育講座である。 この行動は,自ずと,手続き論の観点からの異論を呼ぶことになる。 よってこの行動には,この異論に対する説明作業が最初から含まれている。 手続き論は,手続き主体論である。 すなわち,「手続きの主体はこれこれである」の論になる。 この手続き論に入っていくと,目的行動はたちまちに頓挫する。 なぜなら,「手続きの主体」が存在しないからである。 実際,手続き論になると,みな「どのような手続きで変えられるのか,わたしにはよく分かりません。」になるわけである。 「手続きの主体」の実体化は,組織幻想である。 しかし,組織とはこの種の幻想で成り立つものである。 よって,幻想の指摘で手続き論を抜けられるようになるわけではない。 そこで,目的行動をどのように進めるかという問題になる。 一方,目的行動は,それを起こすことにした考え方が妥当なものでなければ,自己崩壊する。 「算数グループ」の名称を「数学グループ」に変更するという目的行動は,変更必要論がきちんとつくられていることが前提になる。 |