Up カリキュラム委員会の変質:中央指導の装置 作成: 2006-04-30
更新: 2006-05-03


    移行期に入って早々,岩見沢校数学教育講座 (以下「数学」) は学生の科目履修に関して厄介な問題を抱えることになった。 この問題は数学にとどまらない一般的なものであり,したがってこの問題への対応は自ずと他の講座 (学習グループ) に累を及ぼす。 そのため,数学の教員は,問題の扱いに間違わないよう,旧課程担当教員 (札幌校に在籍して岩見沢校兼務する者を含む) 全員に問題を周知してこれの共有を図った。

    数学のこのやり方に対して,岩見沢校カリキュラム委員会 (以下「委員会」) はつぎのように自らの見解を示してきた:

    本メールは,カリキュラム委員のみではなく,旧課程担当教員にも配信されているようですが,その理由は文面から,他の学習グループにも「累を及ぼす内容を含んでおりますので・・・」となっております.そのような全体に影響を及ぼす危惧を抱かれておられるのなら,その具体的な内容を先ず持ってカリキュラム委員会に提起すべきではなかったかと考えます.つまり,このメールを受けとった他の講座の教員は,何をどのようにすべきなのか,徒に思案することになるかと思われます.カリキュラムに関して,全体の教員に問題を整理し,課題を提起するのは本カリキュラム委員会の役目であります.委員会制度を実施している以上,このことはお認めいただかなくてはならないと思います.
    また,今回の問題が他のグループでも相当数起こっているのではないかとの推測から全体的な配信となったのであれば,少し仮定に過ぎたのではないかと考えます.現在のところ,個別に聞いている同様の件数は,現在のところ数学教育講座のことを含めて3件ほどであります.カリキュラム委員会として,公式,非公式ながら,学生の状況については相応に把握しているつもりでおりますので,先ずはカリキュラム委員(系からの選出委員にでも)に尋ねられ,実際的なデータをもとに状況を判断され,問題を提起されるべきではなかったかと思われます.
    委員会を超え,かつ全体に馴染まないメールの配信は,他の教員を無用に煩わせることにもなり兼ねないと考えますので,今後はこの種のメール配信につきまして十分なご配慮・ご高配をお願いする次第です.


    ここには一つの思考様式が示されている。そしてこの思考様式は,その先に移行期旧課程の管理運用体制の一つの像が見えてくるようなものになっている。 したがって,この思考様式の要点を押さえておくことは,今後を考える上で,意味がある。
    ──これを,ここで行っておこう。


    カリキュラム委員会は,
    一部/一人の教員が,教員全体にメールで問題を知らせ,意見を求める
    という手法を,嫌う。

    その理由は,
    (他の教員に有害)
      メールを受けとった他の講座の教員は,何をどのようにすべきなのか,徒に思案することになる
      委員会を超え,かつ全体に馴染まないメールの配信は,他の教員を無用に煩わせることにもなり兼ねない
    (委員会の分限)
      カリキュラムに関して,全体の教員に問題を整理し,課題を提起するのは本カリキュラム委員会の役目
      委員会制度を実施している以上,このことはお認めいただかなくてはならない
    (問題把握に関する委員会の優越)
      また,今回の問題が他のグループでも相当数起こっているのではないかとの推測から全体的な配信となったのであれば,少し仮定に過ぎたのではないかと考えます.現在のところ,個別に聞いている同様の件数は,現在のところ数学教育講座のことを含めて3件ほどであります.カリキュラム委員会として,公式,非公式ながら,学生の状況については相応に把握しているつもりでおりますので,先ずはカリキュラム委員(系からの選出委員にでも)に尋ねられ,実際的なデータをもとに状況を判断され,問題を提起されるべきではなかったかと思われます.

    そして最後に,メールで問題周知・意見要請を行うやり方を,牽制する:

      今後はこの種のメール配信につきまして十分なご配慮・ご高配をお願いする次第です.


    カリキュラム委員会が嫌っているのは,「直接制のネットワーク」。
    そして,「かくあるべし」としているのは,「中央指導/執行部指導のトリー」。



    直接制のネットワークの立場は,つぎのようになる :

    • 直接制のネットワークは,自由主義・デモクラシーに立ち,個としては<主体的・参画的・問題共有的な個>を見る。 ──その個は,「何をどのようにすべきなのか徒に思案」したり,「無用に煩わ」される個の対極にある。

    • 直接制のネットワーク (自由主義・デモクラシー) では,個は「問題を整理し,課題を提起する」役目 (義務) を負い,またこれを権利としてもつ。

    • 直接制のネットワーク (自由主義・デモクラシー) では,委員会制度は代議制の一つの形である。代議制は直接制を効率的にするための装置であり,指導の装置ではない。 ──実際,知は多数の個に存する。少数は,個の知 (それが集まって形成する複雑系の知) を拾えない。よって,中央指導/執行部指導 (前衛主義) はつねに誤る (例:共産主義国家の計画経済の破綻)。

    • 直接制のネットワーク (自由主義・デモクラシー) では,メール/インターネットは,自由主義・デモクラシーを実現するためのインフラとして,ことのほか重要なものになる。──実際,メール/インターネットの登場で,反照的に,自由主義・デモクラシーがこれまで自身を実現するインフラを実は持っていなかったことがわかった。


    代議制も,中央指導/執行部指導のトリーと同じ形をとる。
    代議制のトリーと中央指導/執行部指導のトリーの違いは,僅かに意味付けの違いだ──ボトムアップとトップダウン。
    構造的に同じなので,ボトムアップは容易にトップダウンに変えられる。

    このように,代議制というのはひじょうに危ういシステムなので,代議制を中央指導/執行部指導からガードするには,さらに装置が必要になる。これが,直接制のネットワークだ。
    直接制をないがしろにする代議制は,中央指導/執行部指導にとって代わられる。
    逆に,中央指導/執行部指導は,「組織秩序」の言い方で,直接制を排斥しようとする。──中央指導/執行部指導の安定は,直接制の排斥にかかっている。


    岩見沢校/北海道教育大学では,法人化以降,代議制のトリーは完全に中央指導/執行部指導のトリーになった。
    教員会議 (「教授会」) も,中央指導/執行部指導の一装置 (=中央指導/執行部指導を承認する場) になって久しい。
    そしていま,カリキュラム委員会が直接制の排斥に自ら手を染めることを始めた。