Up 「学習権」のとらえ方 作成: 2006-05-05
更新: 2006-05-05


    移行期には,学生の学習権/就学権の問題が顕在化する。
    学習権/就学権の問題は,本質的に難しい問題であり,生半可な知力で対応されると,教育現場はガタガタになる。

      「学生の不利益」とか「学生の授業を受ける権利」ということばが簡単に使われるが,「(一般的/個別的に) それはどういうことか?」と問われてはかばかしい答えを示せる者は,ほとんどいないだろう。


    この場合しっかり押さえておかねばならないのは,つぎのこと:
学習権を法的に扱い出せば,学校教育は成り立たない

    先ず,「権利と義務」の観点から。
    組織の中の個には,権利とともに義務の問題が生ずる。 権利は,虐待に対する保障なので,法律にのる。 しかし,義務は,組織保持の<装置>なので,法律に馴染まない。
    学習権の実際問題は,多くがこの権利と義務の矛盾の問題だ。 そしてこの問題を法的に措置しようとすると,権利が義務に勝ってしまう。

    • 例えば,学校は「学生に対する処罰」を学校運営の一つの装置にしている。 これは義務不履行の学生に対する処罰ということだが,学生側が訴訟を起こせば,焦点は「学校の債務不履行責任」の方に移り,学校側が不利な立場にどうしても立たされることになる。

        例 : 怠学に対する処分 (受講をやめさせる等)
        期末試験での不正行為に対する処分 (同期のすべての受講科目を「評価なし」に措置する等)
        反社会的行為に対する処分 (退学等)

    • 一般に,漠然とした概念をクリアにする手法として,「操作的に規定する」というのがある。 学習権の場合は,「在学契約」という一種操作的概念が導入される。しかし,この方法も「義務」を拾えない。


    「権利と義務の矛盾の問題」という括りに収まらない問題もある。 「進級・卒業の不認定」は,その例だ。

    進級・卒業の不認定は,学校の社会的責任に係わる。 学校は人材育成という社会的責務を負う。進級・卒業の不認定は,成績が合格ラインに至らない者を進級・卒業させないということであり,これを進級・卒業に変えることは,社会に対し虚偽をはたらくことを意味する。

      教員養成大学·学部を例に考えればわかりやすいだろう。
      学生を卒業させることは,社会に向けて「この学生は教壇に立たせてだいじょうぶです」と保証することと同じである。 ──よって,「温情」で進級・卒業させるような行為は,犯罪である。


    「受講の不認定」「学習グループ所属の不認定」も別のタイプの問題。
    不認定の理由になるものはいろいろあるが,不認定に対し学生側が「学習権侵害」で訴訟を起こせば,ひどい混乱模様になるだろう:

      受講不認定の例
      • 受講申請締切に間に合わなかったので不認定
      • 受講申請のフォームを踏んでいないので不認定
      • 受講要件を満たしていないので不認定
      • 能力的に受講は難しいと判断して不認定
      • 受講要件記載の段階では想定していなかった事由により不認定
      • 許容人数オーバーのため不認定


    要点はこうである:
学校運営は,個々の学生のつぎの配慮/モラルによって支えられている:
同じことを皆がやり出したら,システムは壊れてしまう。
 よって,自分はこのようなことはしない。
    学校運営は,学生が「学習権」の形で個人の権利を主張し出せば忽ちに崩れ落ちるという,ひじょうにもろい構造になっているわけだ。

    学校は,生身の存在として,「学習権」に全うに応える能力/容量をもっていない。よって「権利の主張」が多くの場合,不合理の拡大になってしまう。
    しかし,学生の自己規制は,不合理な体制の温存にもなる。

    したがって,合理的な「やり繰り」が必要になる。
    最初に「学習権/就学権の問題は,本質的に難しい問題であり,生半可な知力で対応されると,教育現場はガタガタになる」と言ったのは,このような意味からである。

    移行期旧課程の運営にあたっては,この点を先ずしっかり理解しなければならない。