ひとの行うことは,たいていの場合,進捗・結果が目論見と大きく外れてくる。
理由は,作業の対象が予想をはるかに超える複雑系であるため。──言い換えると,対象を<複雑系>と捉える思考習慣/思考力がひとには欠けているため。
国立大学のリストラを目論んだ「国立大学法人」も,かくの如しだ。
「国立大学法人」の目論見で,見過ごされていたこと・少しも頭に浮かばなかったことが,クリティカルな問題となって現れる。
「国立大学法人」の「浅知恵」がますます明らかになってくる一方で,当事者は自分のメンツがつぶれることを嫌がり,既定路線の強行へとしゃにむに向かう。
この結果は,「大学」の破壊・崩壊。
「大学」は,一つの大きな歴史だ。これの構築には長い年月と膨大な人智の投入を要したわけだが,壊すのは簡単だ。浅知恵に独走を許せばよい。
浅知恵の独走は,ひとのつぎの傾向性に因る:
- ひとは,事を始めるときに,自らの浅知恵を意識しない。翻って,傲慢,自惚れに気づかない。
- ひとは,事の不合理や失敗が明らかになってきたとき,自らの浅知恵を認めたがらず,これの隠蔽に転じようとする。
──また,この隠蔽を合理化するような理屈 (「非常事態」「妨害勢力」等) をつくり出す。
- ひとは,自らの失敗を認めて作業に終止符を打つより,全体が破滅・崩壊に向かうことの方を選ぶ。
──また,この全体破壊・崩壊を合理化するような理屈 (「これが正しい道」「あの時は誰がやってもああなるしかなかった」等) をつくり出す。
本論考は,「国立大学法人」の論考として,以下のことを行う:
- 当初の課題であった「国立大学のリストラ」と「国立大学法人化」の関係を押さえる。
- 「国立大学法人」が「大学破壊」になるメカニズムを押さえる。
- 「大学評価」の実態 (等身大) を押さえる。
- 「国立大学法人」が拠って立っている教育論/大学論と,教育論の振り子現象 (同じ愚の繰り返し) のメカニズムを押さえる。
- 「国立大学法人」の「大学破壊」を,内容的に押さえる。
- 浅知恵が独走し止められなくなる組織メカニズムを押さえる。
- 浅知恵の独走という組織メカニズムを歴史的に熟知していてこれを制御しようとする方法論として,自由主義/デモクラシーを押さえる。
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