Up 愚が繰り返される理由 作成: 2006-09-01
更新: 2006-09-01


    集団の行動・思考パターンは時間によって変化し,周期運動を示す。 このことを知り,
      いまの時代は,周期運動のどの辺りにあるか?
    という見方ができれば,「井の中の蛙」的な独り善がりをかなり免れることができる。


    教育論は,周期運動する顕著なものの一つ。
    これは,10年から20年周期で実質陶冶と形式陶冶を繰り返す。 実際,文科省 (文部省) の学習指導要領などは,ちょうどこのサイクルをなぞるような具合に,ほぼ毎回 180度の転換を見せてくれる。

    この繰り返しの理由はきわめて単純。それは,過去の忘却である:

      どの教育方法にも得失がある。
      ある教育方法 A が現行だと,<失>が批判の対象になる。
      A に対して教育方法 B が唱えられる。
      実のところ,A と B は,互いに相手の<失>を批判する形で,昔から交替を繰り返してきたところの教育方法。
      ところが,過去は世代替わりで忘れられる。
      過去を知らない世代は,過去にあったことを改めて繰り返す。


    性善説と性悪説も,交替の周期運動を示す。
    「評価」は,性悪説である。
    「評価」で取り締まることを思い立ち,実行する。 そして,すぐに「評価」などできないことがわかってくる。
    これがわかってくると,「性善説につかないことには,物事はやっていけない」ことが見えてくる。 で,「評価」はやめとなる。
    しかし,時間が過ぎ,この顛末は忘れられる。 そして再び,「評価」の唱えられる時代になる。
    この繰り返し。


    「法人化」の「大学破壊」を捉えられるかどうかは,「十分長い時間スパンで対象を考えることができるかどうか」にかかっている。 実際,対象の全体像や本質が見えてくるためには,「十分長い時間スパンで対象を考える」ことが必要になる。
    逆に,このことを知らない者は,独善から破壊を行う。