Up | 「大学破壊」のスキーム | 作成: 2006-08-09 更新: 2006-08-26 |
この条件の基本は,緊縮財政と大学評価。 大学には,緊縮財政に従い,そして大学評価でよい点をとることが,課せられる。 緊縮財政は,リストラを避けて現状維持を謀った大学ほど,顕著になる。 リストラを避けた始末を緊縮財政で自ら負わねばならないというわけだ。 大学にとって自業自得の面はあるが,この緊縮財政に関しては「大学論が皆無」というのが大問題。国立大学への投資の意味・理由がわかっておらず,緊縮財政が大学の研究・教育とどのようなトレードオフになるかがわかっていない役人に,ただ導かれている。 大学評価は,官製の大学改革マニュアルを基準にして,国立大学法人評価委員会/文科省が行う。 この「大学改革」は,一つの教育論/大学論に拠って作成されたものである。 また,巷の会社経営論を手本にしているところが多い。 大学改革マニュアルは点数稼ぎのマニュアルとして用いられるわけだが,結論から言うと,その点数稼ぎで実際にやられてしまうことは「大学破壊」である。 実際,教育論/大学論をいささかでも俯瞰したことのある者なら,「大学改革」がベースにしている教育論/大学論のお里を知っている。それは,「改革」が言われる時代にいつも頭をもたげ,しばらくもてはやされ,そして尻拭いを後に任せて退場する,よく知られた教育論である。(特に,それは課程/授業軽視の学校論になっている。) さて,ともかくも,国立大学は緊縮財政と大学評価を自分の存在する場 (力学場) として持つことになった。 この与えられた場で個々の大学がつぎにどのような運動を示すかは,その大学の<状態> (力学的初期状態) に依存する。 大学の<状態>については,人間的な次元とその他の次元を区別することができる。 人間的な次元とは,組織風土,組織体質,精神風土と称されるものだ。 「大学破壊」の要素となる組織風土/体質の主要なものは,端的に「デモクラシーの未熟」である。 外部者には,大学は (知の府として) デモクラシーなどはあたりまえになっていると思われているかも知れない。 しかし,デモクラシーの議事法をはじめから却けているところもある。 デモクラシーの未熟は,大学の場合はさすがに無知によるものではない。確信的なものである。 それは,前衛主義──「前衛が大衆を導く」。 前衛が執行部を形成し,一般教員を指導する。指導するわけだから,デモクラシーは端から必要ない。 これは「中央指導」の構図だが,「中央指導」は執行部の強権で成立するのではない。大衆の側でもこれを支えることをしないと成立しない。 それは,気兼ね・気遣い・気後れの精神構造ということになる。 このような風土/体質の組織に,法人化で「強化された学長のリーダシップ」が降りてきた。 この先にあるのは,「強化された中央指導」である。 スターリン体制を類型とするような体制が形成される。 行政からお墨付きをもらった「強化された中央指導」は,法人化の課題に対し「計画経済」を立てる。 実際,「中期計画・中期目標」は,前衛党が計画し中央指導する「計画経済」の概念とひじょうに相性がよい。 (行政組織の社会主義的体質と大学の前衛主義的体質がぴったりマッチした。) 大学執行部は「計画経済」の中身を,大学評価の点数稼ぎ (「これを行えば評価が高くなる」と文科省が示してきた「教育・研究の改革」項目の充足) と金策で構成する。 これの合理化には,横並びの論理 (「12大学でこれを行っている‥‥」) や,都合のよい教育論/大学論 (「開かれた大学」) ないし経営論 (「顧客中心」) を用いる。 しかし彼らがやっていることは,大学の本分/本領/シーズを損なう本末転倒。(「築くのは大変だが壊すのは一瞬」を地で行く。) 「計画経済」の「計画経済」たる所以は,「前衛党が計画を立て,これに大衆を従わせる」にある。 ──これは,「知は大衆にあり」の自由主義の立場と対極をなす。 ひとは自分のことしか知らない。(自分のことしか知らない) 大学執行部は,自分の場合を他の場合に敷衍して計画を立て,実行に移す。そして,失敗する。(人文系の人間が理系のカリキュラムをつくって当然失敗するのと同じ。) しかし,前衛党/中央指導は無謬。失敗することができない──失敗したら,「前衛党/中央指導」でなくなる。 したがって,失敗をごまかし/隠蔽し,失敗を明らかにしそうな要素を挫くことを選ぶ。これが自己目的化し,状況は「非常事態の恒常化」と「執行部のなりふりかまわず」になる。
この状況は,組織の精神状態の悪化と悪循環をなす。 ひとは,不合理な状況を強制されると,知性・理性を眠らせるという退行的順応に進む。 思考停止が行われ,正常な思考・判断が潜み,惰性・無気力・倦怠が蔓延し,組織的知力低下を来す。 ──「大学破壊」症候群である。
以上が,「法人化=大学破壊」の内容である。 特に文科省は,「官が国を滅ぼす」を地で行っている。
ちなみに,法人化の「大学破壊」に対抗するのに,即効的な方法はない。 大学人が大学の本質論の見地から「大学破壊」を地道に根気よく説くこと,そして自分の持ち場で「大学破壊」をくい止めることを地道に根気よく行うこと,これしか方法はない。 本論考は,ここで概観した「大学破壊」を個々の要素について改めて詳しく見ていく構成に仕立てている。 ただし,各々は一つの力学場の各様相というように見られるべきものであることを,強調しておく。 |