Up 昭和戦争期の参謀本部 (超法規) 作成: 2006-06-24
更新: 2006-06-24


    ひとは,後から振り返って「なんであんな馬鹿なことをやってしまったんだろう?」と思うようなことをする。 そして,同じ愚行が歴史の中で何度も繰り返される (歴史から学ばれることがない)。
    これは,ひとのつぎの特性によっている:

      自分の愚行に対しては感覚麻痺になることで,自分を保つ (自己否定=自己崩壊から免れる)。


    「なんであんな馬鹿なことをやってしまったんだろう?」の例の屈指といえば,日本人にとっては「昭和の戦争」。 「馬鹿なこと」という言い方をすると目をむく向きもいるだろうから,「何であんなペイするはずのないことをやってしまったんだろう?」の言い方をしてもよい。実際,「計算」で戦争したのではなかった。

    「戦争責任」を問えば,国民全部に決まっている。「だらしない」からそうなったのだ。
    ただ,そんな状況におかれると「だらしなくなる」というのがひとの特性なのだから,端からは単純に責められない。

    ただしものごとには,「ここからは一気呵成」がはじまるきっかけ/転換点がある。「何であんなペイするはずのないことをやってしまったんだろう?」に至ったのは,「参謀本部」という超法規グループが生まれ,そしてそれの好きにやることを周りが許してしまったことが転機。


    実際,自由主義/デモクラシー社会では,このような超法規グループが生まれないようにする規則・しくみを必ず整備している。 ──任期の規定,議事法,時限立法等々。
    逆に,この規則・しくみがないがしろにする者が現れ,周りがこれに寛容ないし忍従/降参の体(てい) で応ずるようになると,「何であんなペイするはずのないことをやってしまったんだろう?」になる。

    ここでわたしたちがよくよく理解しなければならないことは,「何であんなペイするはずのないことをやってしまったんだろう?」は,アタマの良し悪し,人となりの善し悪しには関係ないということだ。
    アタマがすごく良くて人格高潔な者も,自ら感覚麻痺させ,愚行に付き合う。
    ウソだと思ったら,「昭和の戦争」を見なさい。政党はどうだった?マスコミはどうだった?大学はどうだった?知識人はどうだった?
    あなたもわたしも,みんなこうなるのだ。

    国立大学の法人化と「学長の強力なリーダシップ」を見てごらんなさい。
    北海道教育大学の執行部は,超法規グループを自任し,学長任期の規定なども自分たちで勝手に変えてしまった。
    大学の将来計画は,「中期計画/中期目標」として,行政の定めたフォームに行政が定めた内容をただ書いているだけ。大学同士がお互い横並びを意識して,同じことを書いている。みごとなまでの「点取り主義」と「護送船団方式」。大学は数年スパンで考える存在に。
    そして,これを愚行と思わず,いっしょうけんめいやっている。スタッフも (con, pro 関係なく) 感覚麻痺を自らつくって,この流れに応じている。
    これが,国の知力をリードすべき役を本来負っているはずの国立大学のいまのていたらく。役人に知力を指導される国立大学!


    現在進行中で自分が当事者の出来事を理解するには,少し高い視座 (「達観」の視座) が必要になる。ただし,自分の背伸びで視点を高くしようとしても,たかが知れている。
    どうするか?
    歴史に類型をさがす。(共時的な類型さがしをやってもよいが,この場合は誤解のリスクも大きい。)

    そして,国立大学の法人化で起こっている「あり得ない」を理解するための参考としてわたしがここで薦めようと思うのが,「昭和戦争期の参謀本部 (超法規グループ)」というわけだ。