国立大学法人化で,当事者は新しい仕事をつくりそれを行うのに忙しい。そしてその忙しさの意味を省みることを忘れる。
北海道教育大学では,執行部指導体制が遍いたことと相俟って,
「中央指導下で現在進行していることは,何なのか?
──将来,歴史的にどのように評価される出来事であるのか?」
のような根底的な問いかけなど,まったく現れてこない状況だ。このような状況では,やがて,
忙しい者が善で (忙しいことが偉くて),忙しくしていない者は悪
執行部に賛成の者が学校思いで,異を唱える者は破壊者
のような雰囲気が醸成される。そして,このような状況の危うさに,いま大学中がまったく無頓着であるかのようだ。
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ひとは,現在自分がその中に置かれている状況がわからない。
この状況が見えてくるとしたら,それはこれの外に出てからである。
──「外に出る」には,時間的 (現状況が過去のものになる) ,地理的 (その場を離れる), 生活的 (係わりをやめる) 等がある。
自分のおかれている状況は,できるだけ誤りなく捉えたい。しかし,「外に出る」ことはできない。
そこでつぎの方法が用いられる──実際,この方法は有効である:
「参考となるモデルを古今 (通時的) 東西 (共時的) に求める」
特に,「モデルを古 (いにしえ) に求めることは有効な方法である」という知見は,「温故知新」のことばになっている。
「温故知新」の古 (いにしえ) のモデルとして,ここではつぎの2つを取り上げる:
- 「昭和戦争期の参謀本部」(超法規)
- 「スターリン体制」(前衛主義)
実際,これらは,北海道教育大学の執行部指導体制の危うさを見るのに格好のものである。
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