Up | 大学の「家訓」 | 作成: 2006-09-10 更新: 2006-09-10 |
翻って,「壊すのは一瞬」から組織を守るのは,並大抵のことでないことがわかる。 構成員が世代替わりしていく中で組織が百年単位の時間続くというのは,改めて考えてみると,奇跡に近い。 実際,百年単位の時間続いている組織は,存続することに対して,運を天に任せているのではない。 「壊すのは一瞬」からどのように組織を守るかが,周到に考えられている。 たとえば,老舗と呼ばれる店には,「せよ」「べからず」の形で書かれた「家訓」がある。今日の新しい企業の社訓などは,理念・ビジョンの趣で書かれるが,「家訓」は掟(おきて) である。それは失敗学に深く裏付けされたものであることが窺える。 家元制度とか免許皆伝といったものも,「壊すのは一瞬」から組織を守る知恵になっていることがわかる。 組織の本業や運営に関わる知は,経験知であって,「教えてわからせる」という形では伝えられない。「生涯修行」が学習の形になる。「生涯修行」ができない者には組織を委ねないという方法で,組織を「壊すのは一瞬」から守る。 大学の場合はどうか。 従来,大学はリーダ (指導者) をつくらなかった。「壊すのは一瞬」に携わる者がいないわけだから,「壊すのは一瞬」から免れていた。 (従来型の学長は,「代表」であり,「リーダ」ではない。) ところが,法人化は大学にリーダをつくった (学長を「リーダ」にした)。つまり,「壊すのは一瞬」をやれる者をつくってしまった。 国立大学法人の学長には,従うべき「家訓」も,家元・免許皆伝の指導者もいない。まったく裸の状態で「リーダ」にされてしまった。 素人の組織運営であるわけだから,「強化された学長のリーダシップ」のことばにその気になったときは,「壊すのは一瞬」になる確率の方が高い。実際,大学の根本である教育・研究を蔑ろにするという「大学破壊」の道を律儀に歩んでいる。 現前の「大学破壊」をテクストに失敗学を行うことで,大学の「家訓」がどのようなものになるかが見えてくる。それは,大学の本分をていねいに書くものになる。──「研究・教育をむねとすべし」「内職をしてはならない」「流行に惑わされず,大学の本分に則って合理的に行動せよ」「行政の理不尽な指導/要求に対しては理路整然と反論し,これを斥けよ」等々。 |