Up 監視/チェック装置 作成: 2006-05-27
更新: 2006-05-27


    教育者/研究者は,自分の閉じた考えで行う教育/研究の危うさをよく知っている。
    そこで,自分の教育/研究に対する他からのリアクションを求めようとする。

      「研究発表」の第一義は,「成果発表」ではなく,「他からのリアクションを求める」である。

    政治では,与党は自分に対する監視/チェック装置として野党を求める。 国民,マスコミ,その他可能なものは何でも,自分に対する監視/チェック装置として利用する。
    実際,自分独りの想いで政治をするなど,怖くてとてもできたものではない。 「拙速を避け審議に時間をかける」というのも,本音である。体裁ではない。

    上に述べたことが「自分独りでことを進めることの危うさ」の例にまだならないひとは,センター試験業務を考えてみよう。
    そこでは,一つのことを複数の目でチェックする。全く無駄に見える重複も,これによってしばしばミスが発見される。そして,独りで行うことの危うさを,そこで改めて思い知らされることになる。


    賢明な者は,「自分独りで事を進めることの危うさ」を熟知している。
    そのために,他からのリアクションをつねに求める。



    リアクションを求めようとするときは,「良質なリアクションを多く得るにはどうしたらよいか?」と考えることになる:

      「自分の想いが,相手にわかりやすく,そしてきちんと伝わるようにするには,どのような体裁で発信したらよいか?」
      「論点に向けてリアクションが的確にくるようにするには,論点をどのように構造化して示せばよいか?」

    「リアクションを求める」とは,徹頭徹尾,相手のことを考え,相手の立場に立って考えることである。 教育者/研究者は,本来,このことを教育/研究の「方法論」という形でよく知っている。

      ちなみに,数学は,「己の客体化」を徹底的に押し進めることを方法論とする学である。数学には己は存在しない。「‥‥と思われる」のような言い回しは出てこない。用語を「定義」し,主張を「命題」として示し,そしてこれを理由づけるのに,論理に厳格な推論を「証明」として示す。


    「真摯にリアクションを求めることをしない」には,およそつぎの3つのタイプがある:

    1. 独善
        「『方針(案)』は,愚民に問うだけ無駄だ。」
    2. 隠蔽主義
        「『方針(案)』は,都合の悪いこと (突っ込まれそうなこと) を隠して書こう。」
    3. 事無かれ主義
        「『方針(案)』は,新たに問題を起こすようなリアクションを招かないように書こう。」

    「真摯にリアクションを求めることをしない」が現実のものであるときは,たいていこの3つは複合している。 ──それも,ひとりが3役を受け持つというのではなく,各々の役にそれを得意とする者が就く。

      例: 己のイデオロギー的優位を信じて疑わない独裁政権と事なかれ主義の官僚組織は,相性がよい。


    「独善・隠蔽主義・事無かれ主義」は,理知の退廃の態である。知力が弛緩すると,「独善・隠蔽主義・事無かれ主義」に堕ちる。 したがって,これに堕ちないためには,知力の緊張が必要になる。

    知力の緊張は,「互いに他を自分の監視/チェック装置として用いる」ことで保つ (自由主義デモクラシーの方法)。そしてこれが行えるためには,「自分独りでことを進めることの危うさ」を知っていなければならない。また,「他を自分の監視/チェック装置として用いる (他からリアクションを得る)」方法を,実践的に知っていなければならない。


    『北海道教育大学中期財政指針(案) ─入るを量りて出ずるを制す─』は,組織の知力の弛緩を示している。 自分の大学を自ら破壊したくないのであれば,この知力の弛緩に寛容であってはならない。