Up 「授業公開講座」 作成: 2006-08-07
更新: 2006-08-23


    国立大学は,国立大学法人になって,収入の途を独自にいろいろ探さねばならなくなった。 「授業公開講座」はこうして出てきたものの一つ。

    「授業公開講座」とは,大学の正規の授業に (学生でない) 一般者が受講生になれるようにするもの。 登録料は,北海道教育大学の場合

      一律 2,000円で,5つのキャンパスで開講されている授業公開講座をいくつでも受講することができる

    となっている。( 北海道教育大学 HP の授業公開講座のページ)

    破格の値段だが,出所は「教室の空席の有効活用」(営業的には「空席をお金に変える」) だから,この程度でいいと踏んだのだろう。


    外部者に受講を許す制度としてはこれまでに「科目等履修生」というのがある。「科目等履修生」と「授業公開講座」との違いは,前者が単位認定を行い後者が行わないということ。また,「科目等履修生」では単位認定があるので,受講要件もそれに応じたものになる。一方,「授業公開講座」はだれでも受講生になれる。


    発想としての「授業公開講座」は,「大学の授業」とはなにかを改めて考えさせる点で,興味深い。

    「大学の授業」は単位認定を終点に据えて行われる。
    「単位認定が終点にある」の意味は,大学は「資格を持たせる」という形で授業を行っているということ。 150単位取ったとは,150の資格を持った (積み上げた) ということだ。

    授業者にとって,「単位認定を終点に据える」にはつぎの意味がある:

      授業は教育である

    では,「授業公開講座」は教育ではないのか?
    そう,「授業公開講座」は教育ではない。したがって「授業」でもない。


    「授業公開講座」の本質はつぎのようになる。

      正規の授業 (=教育) が,壁がガラス張りの教室で行われている。
      一般者が教室の外からこの授業を聴く。
      授業者が彼らを受講生と見るのは間違い。授業者は彼らを「いない者」としなければならない。

    「授業公開講座」とは,「覗き部屋」仕立てになった授業を意味する。
    「授業公開講座」の「登録料」とは,覗き料のこと。


    よって,「授業公開講座」で論点になるのは,つぎのことである:

      授業は,「覗き部屋」仕立てで構わないのか?
      授業中の教室の席に関して,それが空席であることと外部者が着席していることとは,
       授業に関して同等なのか?

    既に「授業公開講座」が始まっていることは,ある授業は「覗き部屋」仕立てで構わないこと,空席であることと部者が着席していることが同等であること,を示している。

    しかしここで警戒しなければならないのは,「特殊を一般に敷衍する論理錯誤を錯誤と思わない/錯誤を指摘されてもわからない」者がいて,このようなのが

      すべての教員は,自分の授業の一つは授業公開講座に供出するように!

    と言い出す。 そして,これが大学執行部から言い出されてくると,異論を述べたり従わないことは「反組織的行為」になる。


    授業を「覗き部屋」仕立てにすること,空席を外部者で埋める (「空席の有効活用」) の是非/可否は,学術論文的に議論すべきことがらである。 「すべての教員は,自分の授業の一つは授業公開講座に供出するように!」はいくらでも提案してよい。しかし,匿名をやめ,学術論文的に論を形成して提案すべきである。これが大学人の常識というものだ。

      「学術論文的」が苦手なむきには,先ず一般の会社の場合との比較で考えてみることを勧める。
      ──会社において,空いたスペースに外部者が入り込むのは,仕事のじゃまか? 会社は外部者の混入をもちろん斥けるが,その理由を文書にして書くとしたらどうなるか? 大学の授業が会社の仕事とは違ったものに受け取られるのは,なぜか?