Up 「油と教員は絞るほど出る」の構造 作成: 2006-08-12
更新: 2006-08-12


    「中期計画・中期目標」の内容達成案作成の作業グループは,個々に閉じて周りと調整することがなく,しかも「充実して隙がない」形の提案をつくろうとするので,たいへんな量の仕事を提案してくる。(「無茶な仕事量の計画作成」)

    この提案はそのまま現場に降ろされてくる。このことの含意する執行部の思考パターンは:

      1. これらは達成されねばならない
      2. 達成させよ

    「達成できるか?」という思考ステップが,どこかの強権国家のように抜けるのだ。

    計算上無理なことを実現させようとするこのタイプの政策を,「油と‥‥は絞るほど出る」と言う。 「中期計画・中期目標」の場合は,「油と教員は絞るほど出る」になる。


    なぜ「油と教員は絞るほど出る」が現実に政策となって出てくるのか──現実になってしまうのか?

    鍵になっているのは,教員の「裁量労働制」。 「油と百姓は絞るほど出る」の百姓の場合も,そう。 労働時間の概念がないのだ。
    1日中仕事をしても24時間までだが,労働時間の概念がないと,天井知らずになる。


    事務職員の場合は,経費の関係から「残業をつくらない」が方針になっていて,「5時に退社」が推進されている。 実際,残業措置のない残業が起これば,労働基準法 (国立大学法人の場合は各大学が労働基準法に倣って作成した各種関係規則) に違反のかどで,雇用者は罰せられることになる。

    「中期計画・中期目標」の内容に応ずる仕事は膨大であり,「油と‥‥は絞るほど出る」の政策でしか進められない。 教員も事務職員のような時間労働制だとしたら,この政策は立たない。 大学執行部に幸いなことは,教員が「裁量労働制」だということ。


    では,教員は自分自身をどのように「絞る」のか?

      まず,研究を犠牲にする。
      つぎに,教育を犠牲にする。
      そして,雑務や「中期計画・中期目標」関連で降りてきた仕事に対し,適当に不作為する。

    つぎは,経営論のドラッカーによるタイムマネジメントを考える枠組み:
緊急度
重要度AB
CD
    研究は,大学のシーズということを考えた場合「重要度:高」だが,「緊急度:低」ということで,真っ先に犠牲にされてしまう。 そして後から振り返ったときに「つまらないことに時間と労力を注いだものだ」と嘆くことになる雑務が,「緊急度:高」で,教員を縛り翻弄する。


    大学執行部の「油と教員は絞るほど出る」の政策に対し,教員側はどのように対応していくべきか?

    先ず,研究は捨ててはならない。専門性の教育をないがしろにするようなことも,やってはならない。これは大学のシーズであり,(いまの大学執行部はあまりよくわかっていないようだが) 大学がもっとも大事にしなければならないものだ。

    この上で,雑務に対する自分のキャパシティーをしっかり算定する。──「裁量労働制」に隠されてしまっている過労働の状況をきちんと特定する。
    「中期計画・中期目標」の内容を実現する労働が法を違反する量であることは,別に改めて計算しなくとも明らかなのだが,これをしないと,大学執行部側はいつまでも安心していまの政策を続けてくる。

    上から降りてくる仕事をそのまま受けることを崇高なこと (献身・自己犠牲) のように錯覚する教員はまあいないとしても,そのような行為が実は「大学破壊」になるということをよくよく認識する必要がある。


    註 : 大学教員は,従来型のときから既に,仕事に関しては飽和状態にある。授業関係,研究,大学の雑務,渉外,等々で,仕事は夜遅くまで及ぶし,土日祝日も関係ない。 「勤務時間」という概念がなじまないので「裁量労働制」などと言っているが,慢性的過労働,慢性的疲労の状態にあるというのが実態。
    大学執行部は,教員の勤務時間が見えないのを幸いに,ペイしない小銭収入や本質的でない「大学改革」案を考え出しては,これを教員に降ろしてくる。 執行部メンバーは教員が大部分なので,教員の事情は知っていそうなものだが,状況はひどくなるばかり。立場に就いて行うことは,出身が何かとは関係ないということだ。