Up 要 旨 作成: 2009-01-15
更新: 2008-01-15


    「役に立つ」が見えないモノに対しては,これを役に立たないとするのが自然である。 学習に成果が見えないとき,学習の軽視に進むことは自然である。
    問題は,「役に立つ」が直接的ではないということ。
    重要な「役に立つ」は,迂遠である。

    学校教員は,「主題研究では,専門数学に立ち返るべき」という考え方をもたない。 学校教員養成課程の学生は,専門数学の学習がかんばしくないことを,教職に就く上で由々しい問題だとは思わない。
    つぎの思考回路でいるからだ:
      専門数学は,学校数学にはでてこない。
       よって,要らないものである。


    彼らは,学校数学と専門数学の関係をつぎのように考える:
    この場合,学校数学はそれ自体で立てる。

    正しくは,つぎのようになる:
    教育は方便であり,人に応じて専門数学の表現を考える。
    特に,学校数学はそれ自体で立つものではない。

    学校教育と数学のこの関係を理解する機会を持てるのは,学生時代である。
    教職に就いてしまってからでは,難しい。

    翻って,専門数学を担当する大学教員は,<専門数学と学校数学の関係を正しく教えられる者>であることが必要になる。