北海道教育大学は,現在,大学院修士課程の「改革」として「大学院の課程再編」を課題にしているところである。
このムーブメントがどのように推移するかをリサーチすることは,「国立大学の法人化」という系についてのまた一つの知見の獲得になるので,この問題の論考を試行してみることにする。
このための最初のステップとして,「大学院の課程再編」の主題化の形 (論考のスキーム) がどのようになるかを,押さえておく:
- 「法人化」の国立大学での「学部の課程再編」では,大学教育の破壊が起こる。
なぜこのようなことになるのか?
「課程再編」の趣旨は「改革」である。
「改革」はしばしば,「行政の文書に対して,現場が破壊の過剰反応をする」ものになる。
構造的に,明治期の廃仏毀釈ムーブメントと同じである。
( ひとは「改革」に破壊の過剰反応をする)
- 「課程再編が大学教育の破壊になっている」の意味は?
教員養成課程の場合,課程再編が<反-教科専門>の思想で進められている。
これは,教員養成の根底を変えることになり,教員養成の教育をおかしくする。
( 北海道教育大学札幌校の場合)
- 国立の教員養成系大学・学部において「課程再編」の過剰反応を引き起こすことになった行政文書の一つに,『在り方懇・報告書』(2001) がある。
『報告書』は,これが<反-教科専門>の奨励として読まれることを妨げない文言になっている。
- 「大学院の課程再編」は,どうして出てきたのか?
行政文書の「改革」の項目の中には「大学院」がある。
(『在り方懇・報告書』(2001))
また,順序として,「学部の課程再編」の後には「大学院課程再編」を考えることになる。
- 「大学院課程再編」の内容についての大学執行部の想いは?
学部の課程再編を大学院にマッピングするというがイメージがもたれている。
ただし,それは「マッピング」という枠のイメージにとどまっていて,内容 (実質) についてのイメージはもたれていない。
- 大学は「大学院課程再編」を,実質的な内容がないまま,課題として立てる。
なぜこのようになるのか?
官製「改革」は,「改革のための改革」になる。
また,「改革」のことばを唱えると,無内容でも内容があるような気分になる。──ことばとはこのようなものである。
例:「改革」として「実践演習」のような科目を立てる。立ててから「何をしようか?」になる。特にすることもなくて,意味のない内容 (例えば「一泊旅行」) でこれを埋める。
- 「大学院課程再編」の案作成は,どのように進められるのか?
複数の委員会を階層的に組織する。
いちばん下位の委員会の趣旨は,「現場の意見の回収」である。
- 大学執行部の意向 (「学部の課程再編を大学院にマッピングする」) をそのまま通す形に,委員会が動く。
良い悪いの問題ではなく力学的に,委員会は (特別な要素がなければ)「権力の手先」構造に自ら嵌っていく。
(「トップダウン」の構造)
- 「学部の課程再編を大学院にマッピングする」は,どういうものになるのか?
これを推論 (inference) するのが,「研究」ということになる。
「大学院の課程再編」のプロセスでは,研究的スタンスは現れない。
(一般に,「改革」のムーブメントでは,研究的スタンスは現れない。)
思惑先行・「改革のための改革」で行われる「改革」なので,これは失敗する。
失敗してから,浅はかであったことが後悔される。
研究的スタンスがもし起こるとすれば,それはこの「後悔」の段階である。──しかしこのときは,「後悔先に立たず」「あとのまつり」になっている。
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