Up 「教員養成」とは何を授業することか? 作成: 2008-05-20
更新: 2008-05-20


    教員養成課程は,はじめは教職についてアタマが空っぽの学生を,なんとか教職に就けるまでにもっていく。 なんとか教職に就けるまでにもっていくのであって,教員としてものになるかどうかは,本人のその後の精進にかかっている。

    教員養成課程は,たいしたことはできない。
    「たいしたことはできない」という認識をもつことが重要である。
    人間のアタマ・カラダは非常に不自由なものであって,教員養成課程の4年間での学生の成長ははかばかしいものにならない。

    「たいしたことはできない」という認識をもてない者が,特効薬の発想をする。 「これが無いからダメなのだ」調で,あれやこれやの付け足しをはじめる。 制度をいじくりまわす。
    「改革」として起こってくるものは,つねにこれである。

    教育・自己成長は,時間がかかる。
    時間がかかることは,時間をかけて地道にやるしかない。
    バイパスや特効薬はない。
    バイパスや特効薬がないことを教えることも,教育である。
    教員養成課程は,このように教育する。


    授業ができるためには,授業内容を理解していなければならない。
    教員養成課程の学生は,将来教員となったときに授業する内容を勉強する。 この勉強は時間を要する。 それに彼らは,はじめ,「勉強」というものを理解していないし,勉強の仕方というものを知らない。

    しかもこの状態で,彼らはいろいろな思い違い・勘違いをしている。
    教員養成課程の学生には,専門科目の学習を軽視し,忌避する傾向がある。 それは,つぎの思いをもっているからだ:

      自分は,教える内容を知っている (自分はむかしそれを勉強した)。
      問題なのは,教える技術 (指導法),そして子どもとの接し方,である。
      教員養成課程は,このような実際的なことを教えるべきであり,役に立たない専門科目で時間を使わせるべきでない。

     註 : 学生の多くは,このような勘違いをしたまま卒業し,教員になる。 よって,この勘違いは,現職教員の問題でもある。


    教員養成課程は,このような学生を相手にする。
    さて,このような学生を相手にする「教員養成」の授業はどのようなものになるか?

    「数学科教育法」を例にしよう。
    この授業は,授業設計・模擬授業を主たる形にする。
    授業設計・模擬授業の意味は,つぎの2つ:

    1. 自分が何もわかっていないこと,何も考えていないことに,気づく。
      「主題理解」という課題の深さを認識する。
      「わかる」とはどういうことかという問題意識を持つ。
      「教える」とはどういうことかという問題意識を持つ。

    2. 授業パフォーマンス (「指導法」) を身につける。


    重点は,A の方にある。
    これを学生時代にやらないで教職に就くと,ずっとやらないままになってしまう。 (やることの必要性に気づかない,やっていない自分に気づかない。)

    B は,基本中の基本をやることでよしとしてよい。
    「指導法」は経験的に学習されるものであり,教職に就いてからの修行課題ということになる。 模擬授業でやってもたいしたことにはならないし,学生時代の不器用も早晩器用に追いつく。


    授業設計・模擬授業は,指導案作成が中心になる。
    学生は,授業内容を理解していない。同時に,自分は理解していると勘違いしている。 よって,指導案作成指導では,主題を先ず理解させることに,かなりの時間をつかうことになる。
    実際,主題理解は,授業設計・模擬授業の全プロセスを通じて指導することになる。

    主題理解の指導は,数学科の授業であれば数学専門の指導に他ならない。
    こういうわけで,教科専門性の陶冶は,教員養成課程のほとんどすべての科目に貫徹するものになる。