Up | <反-専門>主義は絶えず頭をもたげる | 作成: 2008-03-05 更新: 2008-03-05 |
複雑系の一部を全体だと思ってそれをいじると,思わぬところに影響し,教育のアウトプットをおかしくしてしまう。 教育行政や教育のムーブメントは,たいていこんなことの繰り返しである。 ──失敗して担当者が退場する。新しい担当者に入れ替わり,ただ180゜ひっくり返したようなことを始める。 こんな調子で,いつまでたっても「相手は複雑系」を学ぶことがない。 直近のことでは,「ゆとり教育」がこんなふうに失敗し,「近い将来にモンスター大発生」をアウトプットするだけの結果で終わった。 教育の課題として,
「学習にゆとりを」 しかし,これを教育ムーブメントにすると,大きな落とし穴が待っている。 しかし,「ゆとり教育」の失敗は,「学力低下」という形で総括されてしまう。 そして「学力を低下させる教育」をひっくり返した「学力を向上させる教育」が,新しいムーブメントになる。 このつぎは,どうなるか? 10年から20年後,「学力向上」の謂う「学力」は本当の学力か?を言うことが流行りになる。 「探求をベースにする」「学習にゆとりを」が唱えられ,「ゆとり教育」のムーブメントになる。 教育学は,このような振り子運動から降りることを主題にしなければならない。 それは,教育を「複雑系相手」のものとして研究することである。 「教育においてこんなふうな一部のいじり方をすると,こんな顛末になる」を明らかにしていくことである。 以上述べたことは,そのまま「教員養成」にスライドされる。 <反教科専門>主義の「教員養成」は教員養成にならず,そしてまた,「モンスター」の素通り (モンスター学生 → モンスター教員/社会人) になる。 この失敗は,忘却によってまた繰り返される。 したがって,忘却阻止は困難であっても,少なくとも忘却を容易にしないために,「教員養成課程を<反教科専門>主義でいじると,こんな顛末になる」を明らかにすることが必要である。 このような立場から,本論考は,つぎの問題を考える:
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