Up | 教員養成における体系的学問の意義がわかっていない | 作成: 2008-03-07 更新: 2008-03-07 |
<思考>は,つぎのことによってできあがるのではない: <思考>は,どんな学習によってつくられるか? 体系的学問である。 <思考>には,論理的構成,本質直観,構造のとらえ,といった要素がある。 これらは,人類の歴史が「体系的学問」の形でつくった。 これらは,人類史の遺産である。 人類史の遺産は,個人の私的な生活空間の外にある。 人類史の遺産は,個人が自分の内でつくり出すことはできない。 <思考>を得る方法は,つぎのものであり,これの他にはない:
それをじっくり時間をかけて勉強する。」 良質な体系的学問とは,端的に「科学」である。 よって,<思考>を得るとは,科学を勉強するということである。 <思考>を得るとは,「科学者」になるということ。 翻って,「科学者」をつくるようになっていない教育課程は,<思考>陶冶を行わないようにしている教育課程,すなわち<子どものまんま>をやらせている教育課程である。 そして,<反-教科専門>主義の体系バラバラ主義による教育課程が,まさしくこのような教育課程である。
「学校の勉強は,生活には何の役にも立たない」の言い方がある。 <反-教科専門>主義は,この考え方に立つ。 <反-教科専門>主義に立つ教員養成課程は,つぎのように言っているわけである:
「学校の勉強は,生活には何の役にも立たない」の言い方が出てくる原因は,つぎの2通りである: 教員養成課程が<反-教科専門>主義になる原因も,この2通りである。 |