Up おわりに 作成: 2010-06-29
更新: 2010-07-06


    「国立大学の法人化」の意味は,国立大学を「利潤を生む事業をつくり自活する」者にすることである。 そして実際に起こったことは,「利潤を生む事業をつくる」の意味が「プロジェクトを概算要求する」になるということであり,プロジェクトが税金・人力の無駄遣いになるということである。

    国立大学が「生き残り」を唱えてやっていることが,いちいち無意味・無駄に見えてしまうのは,実際それが<収入をつくるためにする税金・人力の無駄遣い>だからである。 実際,「国立大学の法人化」の意味は,<収入をつくるためにする税金・人力の無駄遣い>が国立大学の仕事になることである。

    翻って,公の機関にするとは,<収入をつくるためにする税金・人力の無駄遣い>が仕事になっては拙いものを公の機関にするということである。
    利潤追求型企業にするのと公の機関にするのとでは,どちらがよいか?」の問題は,「利潤追求型企業にするのと公の機関にするのとでは,より多く税金を遣うことになるのはどちらか・質を自ら損ないやすいのはどちらか?」という問題である。

    そして,現前の「国立大学の法人化」現象をこれまで観察してきてわたしが見るところでは,国立大学は,利潤追求型に向かわせる方が,より多く税金を遣い,そして質を自ら損ないやすいのである。