Up はじめに 作成: 2010-06-25
更新: 2010-07-08


    日本の国家財政は,「破綻」の様相を呈している。
    そしてこれに関連して,「税金の無駄遣い」が政治のテーマになっている。

    この「無駄遣い」は,「事業仕分け」がやっているような<無駄を潰す>みたいな形で無くなるものではない。
    「無駄遣い」には,理由がある。
    「無駄遣い」の原理・法則というものがある。

    すなわち,この「無駄遣い」は,「利潤追及」を行うときに必然的に随うところのものである。
    利潤追及型事業では,利潤はつぎの式で得られる:
    事業による収入 − 事業での支出 = 利潤   
    この場合,見込む利潤の何倍もの額が,事業に投じられることになる。 本来の目的である利潤の側からこれを見るとき,これは「無駄遣い」である。 (ちなみに,事業に投じる額が利益に対しひどく大きくなるとき,これを「薄利」と謂う。 「薄利」の改善は,「無駄」を減らすことである。)

    われわれの社会は,「利潤追及」を<生きる>形にする。
    よって,「無駄遣い」は無くならない。


    「官から民」は,これまで公の機関としてきたものに対し,今後は「利潤追及」を自分の生きる形にさせようという発想である。 しかし,これは想うとおりにはならない。
    「官から民」は,<「公共事業」に頼って生きる民>を新たにつくる結果になる。
    そして,「公共事業」には「税金の無駄遣い」が随う。

    これが「国立大学の法人化」で起こる。
    本論考は,これを論じるものである。

    本論考は簡単なものであるが,さらにこれを読みやすくするために,ここで要点を先回りして述べておく。

    「国立大学の法人化」とは,国立大学に利潤追及型企業の道を進ませることである。
    このとき,国立大学に可能な利益追及型事業で且つ実効的なものは,「プロジェクトを概算要求し,経費を獲得する」である。 すなわち,国立大学法人の「利益追及型事業をする」は,「プロジェクトを概算要求し,経費を獲得する」になる。

    この場合,概算要求による獲得額が「事業による収入」にあたり,支出を調整して「利潤」を得る。
    「利潤」が,大学の収入である。
    概算要求による獲得額と大学の収入の差は,「税金の無駄遣い」である。
    さらに,プロジェクトでは,税金の無駄遣いと併せて人力の無駄遣いが起こる。

    「国立大学の法人化」では,打ち出す施策がことごとく「税金の無駄遣い・人力の無駄遣い」のように見える。 これは実際に無駄遣いであり,そしてこの無駄遣いは偶然ではなく,必然である。 すなわち,いま目撃・体験している無駄遣いは,「利潤追求」の現象に他ならない。