Up 偽善 作成: 2025-01-14
更新: 2025-01-14


    自分が生きることは,他の生き物を殺すことである。

    生き物を殺すのは,気持ちがよくない。
    もっと生きたかっただろうに」 と思うからである。
    自分が殺される側だったら」 と思うからである。
    そしてここから,「バチがあたる」の概念がつくられる。


    ひとは,バチがあたらないよう,「あの世へ送る」の概念をつくる。
    つぎのように:
      死んだのは借り物の体であって,本物は霊魂として生きている。
      そこで,霊魂がこの世に恨みを残さないよう,あの世に丁重に送ってやる。

    狩猟民が,仕留めた獲物に対しその都度<送り>の式を施したり,あるいはまとめて供養の儀式/祭りをするのは,これである。


    ひとは,他人事(ひとごと)の死にも,自分にバチが及ぶを思うようになる。
    このバチは,他人事にすることのバチである。

    よその地域の戦争に対し「反戦」を言うのは,これである。
    他人事にすることのバチが,強迫観念になっている。

    死亡事故の現場には,供養にやって来る者がいる。
    その心理もこれである。
    ──当人はそうは思っていないが。


    一方,彼ら「善人」に対し,バチの概念から脱けている者がいる。
    「悪人」である。
    悪人は,善人の異界である。
    そして悪人は,善人を「偽善者」として映す鏡になる。
    「悪人正機」というわけである。