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串原正峯 (1793), pp.494,495
交易をなすに、夷とも會所へ来りて、
たとえば煎海鼠百出しアブラシャケと望めは、清酒三盃遣す。
但壹盃といふは貳合五勺入椀にて斗るなり。
タンバコと望めは、烟草壹把にいりこ百五十なり。
烟草壹把をタンバコ、シネムイといふ。
又いりこ百出し又ヤゝカンと望めば、耳環壹提遺す。
米をアマゝと云、
醪をシラリコルシャケといふ。
飯をシユケアマゝと云。
紺木綿をセンガキ、
白木綿をレタレセンカキ、
海鼠引かねをウタヤカニ、
鯖差 サバサシとは小刀の少し大なる魚の腹わたをとる庖丁なり をイビリケ、
皮針をルエケム、
小針をアネケム、
耳環をヤゝカニ、
鴨々 カモ/\といふは曲ものにて,黒く又は赤く塗り,夷用に仕込み,出羽の坂田にて造る。 にアツシ、
網羽縄 アバなわといふは夷網に遣ふ をツシ、
壹俵をシネタワラ、
壹樽をシネシントコ、
壹把をシネムイ、
椀に一盃 但し二合五勺入 シネイタギといふ。
荒方此趣なり。
宗谷交易定直段左に記すなり。‥‥‥
[ 交換比 ]
右の振合にて少しつゝの交易も夫々に交易いたし遣す事なり。
諸方より海鼠引夷 尤も宗谷支配の夷ともなり 曹谷へ集りたる節は、
會所へ三十人、五十人一所に詰かけ、
段々云込て、海鼠引漁事を引當に、飯糧又は米、麹、酒、たばこ、煎海鼠引道具等入用の品其外前に書記したる品ともを借請る事にて、
餘り大勢にて混雑する時は、シマコライ/\と呼はり、外へ追出し、次第々々に貸遣す事なり。
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引用文献
- 串原正峯 (1793) :『夷諺俗話』
- 高倉新一郎編『日本庶民生活史料集成 第4巻 探検・紀行・地誌 北辺篇』, 三一書房, 1969. pp.485-520.
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