- 「憂茶羅には、胎蔵界憂茶羅と金剛界憂茶羅とあります。[「両界曼荼羅」]
「胎蔵界」の胎は母胎のことで、胎蔵界蔓茶羅は女性的な原理に基づき、金剛界蔓茶羅のほうは男性的原理に基づくとされます。
また胎蔵界蔓茶羅は母の慈悲にたとえられ、仏の慈悲の面を強調しているのです。
‥‥ 金剛石というのは固いものですから、父にたとえられるような強い力が示されているわけです。
ここでは厳しい修行が要請され、上なる大日如来をめざして修行するのです。
ちょうど、男性的原理と女性的原理と、慈悲と智慧と、あるいは他をあわれむのとみずから努めるのと、両方が対になっているのです
この蔓茶羅の、ことに胎蔵界の外のまわりの部分を外金剛部 (院) といって、そこにはヒンドゥー教の神々がとり入れられています。‥‥つまり、ヒンドゥl教の神々といえども大日如来の偉大な力のなかに摂取されていることを示すのです。
大日如来の立場からみると、外道というものはないのです。
世の人は、これは正道であるとか、邪道であるとか、外道であるとかいいますが、外道というものが出てきたのには、その理由があるわけです。
そして、その存在を認める。大きな目をもってみる。
それは偉大な慈悲になる。
外道までも同化してしまって善のほうに転化して、そのよき教えを護るように活かしていく。
そのような偉大な理想が示されているのです。
憂茶羅のような具象的な形で一つの思想を示そうとすることは、すでにインドにあったことです。
インドでは、神秘的な霊力をもった図形を尊び、そこに神を象徴して拝むという習俗があり,これをヤントラ (yantra) とよんでいますが、この習俗は今のインドにも残っています。
そこに神を象徴して、神に祈講する。
それによって福徳にあずかるのです。
マンダラ (mandarla) というものも別にあります。
「マンダラ」とは、もとは円形、円い形とか、球を意味して、ヴェーダ聖典以来使われていることばです。
それが転じて、領域、地域ということも意味するようになりましたが、現代のインド、とくにベンガルあたりでマンダラというと、真言密教のものよりも図形のいくらか簡単なものを意味しています。」
(中村元『密教経典・他』, pp.75-78.)
「また金剛界、胎蔵界の二つも、やはりインドの伝統的な観念をうけています。
金剛というのは、もとのことばでヴァジュラ (vajra)といいます。
ヴェーダにおける、ことに『リグ・ヴェーダ』におけるもっとも強い武勇の神であるインドラが金剛の杵をかざして悪魔を退治するわけですが、それが仏教にとり入れられて帝釈天になり、悪魔をくじきます。
つまり父の愛、父の慈悲にたとえられ、そして金剛界として生きてきます。
それにたいして胎蔵界のほうは母性的な力を表します。
インドの神話では、楽しそうに横になっているヴィシュヌ神のおなかから蓮華が現れ出て、その蓮華の中から梵天という神がまた出てきて、それが宇宙全体を生み成すとされます。
つまりすべてを生み出す力がそこに現れているのです。
梵天を通したそのヴィシュヌ神のはたらき、それが仏教にとり入れられて、胎蔵界となります。
こうして金剛界と胎蔵界とが成立したわけです。
ただ、インド神話では、空想的ではありますが、組織がなく、簡単に説かれていますが、これが真言密教になると、組織的に雄大なスケールで説かれるようになったわけです。」
(中村元『密教経典・他』, pp.127,128.)
- 胎蔵曼荼羅 (大悲胎蔵生曼荼羅)
- 根拠:大日経
- 「現図曼荼羅」──12院構成
- 中台八葉院
- 遍知院
- 持明院
- 蓮華部 (観音) 院
- 金剛手院
- 釈迦院
- 文殊院
- 虚空蔵院
- 蘇悉地院
- 地蔵院
- 除蓋障院
- 外金剛部院 (最外院)
- 金剛界曼荼羅
- 根拠:金剛頂経
- 「金剛界九会曼荼羅」──9会構成
- 成身会
- 三昧耶会
- 微細会
- 供養会
- 四印会
- 一印会
- 理趣会
- 降三世会
- 降三世三昧耶会
- 別尊曼荼羅
- 密教の修法 (息災法,増益法,降伏法,敬愛法) に対応
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