Up 煩悩の肯定 作成: 2018-05-25
更新: 2018-06-19


  • 俗信の摂取──土着の文化 (平俗) に合わせる
    仏教 (<解脱>の教え) の退けるものが,内容になっていく
  • 「従来の大乗仏教においては、やがて聖者となるべき求道者 (bodhisattva 菩薩) は六つの完全な美徳 (paramita 波羅蜜) の修行に不断の努力を払わなければならない。利他行の実践に倦んではならない、という。
    しかし、密教においては、このような困難な実践を必要としない。
    衆生は本来仏性を具有している。だから仏となるには、そのように困難な実践窮行を必要としない。人々は、諸尊を念じ、陀羅尼を誦し、密教の特別な儀式にあずかることによって容易に究極の境地に達し、仏となることができるという (即身成仏)。  
    したがって現世の幸福・快楽を承認する。
    人間の煩悩・情欲は克服・抑圧されるべきではなくて、尊重されるべきである。
    不純な愛欲を一切衆生にたいする慈悲にまで高めればよい。
    人間が持っているあらゆる情欲を何らはばまれることなく、完全に実現することのうちに善の行為が存する。」
      (中村元『密教経典・他』, pp.208,209)


  • 参考Webサイト
  • 参考文献
    • 中村元[著]『密教経典・他』(現代語訳大乗仏典 6), 東京書籍, 2004.