Up 訴訟社会 : 要旨 作成: 2016-04-29
更新: 2016-04-29


    つぎの訴訟判決が報道されている(註)
  
読売新聞
2016年04月27日
長時間避難の入院患者死亡,東電に初の賠償命令
 東京電力福島第一原発事故で避難を余儀なくされ,死亡したとして,福島県大熊町の双葉病院に入院していた当時73歳と98歳の患者2人の遺族14人が,東電側に計約6600万円の損害賠償を求めた訴訟で,東京地裁(中吉徹郎裁判長)は27日,遺族1人当たり176万〜352万円(計3101万円)の支払いを命じる判決を言い渡した。
 同病院からの避難を巡る訴訟で,東電側に賠償を命じた判決は初めて。
 訴状によると,98歳の男性は2011年3月14日,同病院からバスで8時間以上かけて同県いわき市の高校へ避難。73歳の男性は16日未明,同病院からバスで同県二本松市の病院へ搬送された。
 2人は16日に心機能不全と脱水症でそれぞれ死亡した。訴訟で遺族側は「原発事故で長距離,長時間の避難を強いられ,適切な医療を受けられなかった」と主張していた。遺族側の代理人弁護士によると,東電側は避難と死亡との因果関係は争わず,賠償額が主な争点だった。


朝日新聞
2016年04月27日
避難で死亡,双葉病院遺族の訴訟 東電に賠償命じる判決
 福島第一原発の事故後に死亡した双葉病院(福島県大熊町)の入院患者2人の遺族が,東京電力に計約6640万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が27日,東京地裁であった。中吉徹郎裁判長は,計約3100万円の支払いを東電に命じた。
 訴えていたのは,第一原発から約4・6キロの同病院に入院していた安倍正さん(当時98)と辺見芳男さん(同73)の遺族。
 訴状によると,安倍さんは事故で避難指示が出ていた2011年3月14日,自衛隊に救出された。8時間,約230キロの移動を強いられた後,県内の避難所で16日に死亡した。辺見さんも約80キロを移動して別の病院に入ったが同日,脱水症で死亡した。
 遺族側は「事故で十分なケアを受けられず,長距離,長時間の搬送による負担で死亡した」と主張。東電側は「死亡には地震や元々の体調も影響している」として争っていた。
 同病院と系列の介護施設では,原発事故後の避難が遅れ,同年4月までに約50人が死亡した。東京地裁では,今回の2人を含め,死亡したり行方不明になったりした7人の患者の遺族らが提訴したが,判決は初めて。

    上の訴訟判決の報道から,つぎのことを知る:
    1. 「原発事故で長距離,長時間の避難を強いられ,適切な医療を受けられなかった」として東京電力に損害賠償を求める訴えは,損害賠償支払いの判決を勝ち取れる。
    2. 東京電力は,「避難と死亡との因果関係は争わず,賠償額が主な争点」をスタンスにしている。 よって,損害賠償支払いの判決は,当然の結果である。
    3. この度は2人の死亡の訴えであるが,全死亡者は「車内で3人が死亡し,搬送先の病院をあわせ計24人が死亡」となっている。

    東京電力の「避難と死亡との因果関係は争わず,賠償額が主な争点」は,つぎがこれの<理>である:
      「避難と死亡との因果関係は争う」は,いろいろな方面から関係者を引きずり出してしまうことになり,面倒な事態になる。
      賠償支払いは,電気料金値上げ・その他で応じられる。
      よって,独りですべてをかぶって/独りにすべてをかぶらせて,金で解決してしまうのが最良。


    訴訟社会は,「金で決着」の系である。
    損害賠償を得られる事案を,人がさかんにセンシングするようになる系である。
    人のこの運動を駆動・制御する機序として,弁護士ビジネスがますます露出してくる系である。

    「原発事故災害後」は,この「訴訟」ステージに入っていく。

    ひとは,この様を見る。
    そして,退いてしまう。
    現れてくる絵が,どれも非常識な絵だからである。


    もともと,法の世界は,非常識の世界である。
    律を推すと,非常識になるのである。
    黒が白になり,白が黒になる。
    非常識な絵がはびこり,物事の本質が駆逐される。

    実際,法廷を真理の場のように思っている者は,いない。
    法廷は,ギャンブルの場である。
    勝訴は<うまくいった>であり,敗訴は<うまくいかなかった>である。
    それ以上でも以下でもない。

    ただし,裸の王様に対し「裸だ!」を言わないことが,社会を保つということである。
    法廷は,ひとのこの配慮で保っている。

      裸の王様に対し「裸だ!」を言えるのは,唯一,科学である。
      そして本論考は,生態学として,裸の王様の裸を論じているわけである。



    註 : 双葉病院の件は,『東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会 最終報告』(http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/icanps/post-2.html) で詳しく報告されている (pp. 234-241)。
    また,Wikipedia「双葉病院」(https://ja.wikipedia.org/wiki/双葉病院) にも,要約した形の解説がある。
     
    Wikipedia「双葉病院」
    東北地方太平洋沖地震及び福島第一原子力発電所事故に伴う避難行動の混乱により,多数の患者が死亡し,一時は医療関係者の責任放棄があったとの誤報が生じている。
    東北地方太平洋沖地震発生当時,同院には認知症患者ら340人が入院。近隣の傍系の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」には98人が入所していた。同夜,福島第一原子力発電所の事態を知った病院スタッフらは,町に対し対応を要請。翌12日早朝には大熊町全町民の避難指示がなされる。第1陣として,移送可能な患者209人と医師らがバス5台で避難した。患者・入所者227人と病院の院長,ドーヴィルの施設長・事務課長は次の救助隊の来援に向け,病院とドーヴィルに待機していたものの,この情報は共有されていなかった。このためもあって,13日に救助は来なかった。14日朝6時半。ドーヴィルの全入所者98人と,双葉病院の患者のうち34人が自衛隊の車両でいわき市の高校へ向かうが,移動に14時間を要した。車内で3人が死亡し,搬送先の病院をあわせ計24人が死亡した。院長とドーヴィルの施設長・事務課長,避難先から戻った医師・看護助手らは,電力や水道が使えない中,残る95人の患者の看護に当たった。救援の自衛隊部隊は,原発の状況の切迫性を受け,一時退避等を行っており,行動に遅れが生じている。
    14日夜,院長・病院スタッフらは警察から避難を命じられ,患者を残し警察車両により移動させられた。病院に戻ろうとしたが,許可されなかった。残留患者数を把握できていなかった自衛隊は,15日以降も,救援隊を複数回派遣し,患者の搬送を行った。残る95人は,病状を把握していない自衛官らにより15日午後までに避難完了したが,避難途中に7人が死亡し,最終的にはドーヴィル双葉の入所者を含め50人が死亡した。この件に関し,県災害対策本部は,避難時に医療関係者が残留していなかった旨を広報し,一部の大手マスメディアは「院長が患者を置き去りにした」との報道を発する事態となった。しかしながら,医療関係者は,避難の指揮を執っており,14日の移動も自衛隊との合流を目指したものであったことから,医療関係者が責任を放棄したという広報は,誤りであり,県災害対策本部は後に訂正を行っている。