Up | おわりに | 作成: 2024-09-23 更新: 2024-09-23 |
見えているのは,運動する水の粒である。 物事は,視座の取り方によって,見えるものがまったく違う。 主食米の経済を扱った文献・資料は,ひじょうに細かいことの記述になる。 こうなるのは,作者が「遺漏はまずい」とか「相当の分量につくらないのはまずい」と思ってしまうからである。 ひとから文句をつけられないために,ガチガチに埋め尽くす。 こうして,読者は「雲の中に入って雲の形を捉える」ような苦労を強いられる。 というわけで,主食米の経済の「雲の形」(構造) を書いておくことにした。 その構造は,「規制と規制緩和の行ったり来たり」である。 ひとは,視野が狭い。 現前を重大局面のように思ってしまうのが常である。 しかし,要素では重大局面でも,構造まで行くと「重大局面」なんてものは無い。 世の中の事は,「またやってるわい」で,これに適当に付き合っておくのが吉である。 世の中は,<正しさ>に向かって前進しているのではない。 こう言えば,アタリマエに聞こえるだろう。 しかし世の中から聞こえてくる声は,いつも<正しさ>を求める声なのである。 |