Up | 財政 vs イデオロギー | 作成: 2024-09-08 更新: 2024-09-09 |
財政は,膨張した支出の削減を務めとする。 財政である農政は,農家への膨張した補助金の削減が務めになる, これに対し農家は,補助金を既得権益とする者になる。 彼らは,既得権益をおびやかされる者として,団体組織を以て農政の補助金削減策に抵抗する。 農政と農家団体組織のこの対立は,絶対である。 自分を是として立てる者同士の対立であるので,絶対なのである。 ただし,この場合の<自分を是として立てる>は,本来方便である。 自分の裏表を知っているからである。 実際,是非は相対的である。 「塞翁が馬」である。 しかしひとの中には,自分を絶対とするタイプの者がいる。 自分を絶対とする思考様式を,イデオロギーと謂う。 そして既得権益 vs 財政は,ほぼすべて,正義イデオロギーが既得権益サイドをリードする格好にになる。 ひとは「正義」に抗えないからである。 イデオロギーは,「正義」を唱えればマウントをとれることを知っている。 この正義イデオロギーの特徴は,自分を「日本」にすることである。 自分の既得権益の否定を,「亡国」と呼ぶ。 自分の既得権益は国の安全保障であり,これの否定は売国だ,というロジックである。 こうして財政は,既得権益=国の安全保障を削減する作業になる。 立場は,「既得権益を抱え続ける金は国には無い」である。 翻って,「安全保障」イデオロギーは,「財政破綻は無い」とする立場である。 彼らは,「金造り (money creation) が財政」の経済学に立っている。 金造りを「国債」で偽装している財政も,この経済学に立っていることになる。 ただし,「金造り財政はいまの調子で続けていって問題が無いのか?」の思いのところで,財政と「安全保障」イデオロギーの差が出てくる。 「安全保障」イデオロギーの「財政破綻は無い」に対し,財政は「なんかやばいんじゃないか?」の立場である。 財政は,「背に腹は変えられない」を以て,「亡国」をやる。 確信犯である。 確信犯だから,「亡国だ!」を言っても無駄である。 少しの誤解も無くしておきたいので,ここはしつこく強調しておく。 財政は「既得権益」に対し「規制緩和」を対置するが,この意味は,「これまでのような補助金支出はできない・減らす」である。 理由は,「金が無い」である。 金が無いなりの財政を,「健全財政」と謂う。 「規制緩和」の心は,「国債に偽装して金造り (money creation) をする財政の手法は,やはり危ないから自制する」「少しでも健全財政を目指す」である。 財政は,「規制緩和」が国の「安全保障」を損なうことは,百も承知である。 「亡国」「売国」と非難されることも,百も承知である。 「規制緩和」の心は,「色々危ないことになるけど,先立つものは金なので,どうしようもない。国民個々がそれぞれの分野で何とかうまく切り抜けてよ」である。 財政の要諦は,安全保障の求めに対するサボタージュである。 国には,様々な安全保障の求めに一々応じる力は無い。 プライオリティーを立てて,選別するのみである。 そのプライオリティーも何だか変なものだが,それも含めて,「国を買い被っちゃあいけない」である。 ひとは,国というものをどうしようもないほど誤解している。 国を,子の面倒をみる親みたいに思っている。 そのくせ「デモクラシー」を唱える。 デモクラシーは,民の代表制である。 国は,民以上のものにはならない。 各種安全保障に対する国の能力は,民の能力以上のものにはならない。 自分のことを考えれば,「国に色々求めているけど,求め過ぎだよなあ」「国を買い被っちゃあいけないぜ」になるのである。 |