Up | 交付金政治の限界 | 作成: 2024-09-18 更新: 2024-09-18 |
ひとや政治は,これをまずいことだと思っている。 この「思っている」は,「漠然と思っている」である。 「中山間地域に住んでそこを保持する者」を,自分ではない誰かとして思っているからである。 ひとの「中山間地域の消滅はまずい」の思いは,「中山間地域に住んでそこを保持する者は自分ではない誰か」の思いのもたれ合いである。 かくして,「中山間地域に住んでそこを保持する者」はいない。 よって,中山間地域は消滅する。 人が侵入する以前のところに回帰する。 ──人がいなくなってせいせいする生き物は多いはず。 政治は,交付金で「中山間地域に住んでそこを保持する者」を実現しようとする。 「交付金」の思想は,「人は金で操れる」である。 実際,政治手法は「人を金で操る」に限られてくる。 自由主義の国は,「人に強制する」を使えないからである。 しかし,交付金で人を操ろうとするのは,うまくはいかない。 交付金で人にやらせようとしている事は,ひとが自分ではやろうとしない事である。 よって,そうとう金をはずまないと効き目がない。 しかし交付金は,あまり大きな額にはできない。 大きな額にすると,交付金受給者以外の者が不満をもつからである。 「財源の公平な支出ではない」というわけである。 交付金の手法が効かないことの目下の好例は「少子化対策」だが,「中山間地域消滅化対策」もこれと同様になる。 翻って,育児や中山間地域の生活は,以前はどうして保たれていたのか? それは,制度・文化的な強迫で保たれてきたのである。 その強迫は,子をもうけないことが誹られ,地元から出て行くことが誹られる,というものである。 今日,その強迫が無くなった。 そしてひとは,子をもうけない者になり,地元から出て行く者になる。 強迫が無くなったことはめでたいことなのだから,ひとが子をもうけない者になり地元から出て行く者になることは,他が文句をたれることではない。 「少子・中山間地域消滅」を「亡国」のように見る者は,「亡国を制度・文化的な強迫で押し返そう!」のイデオロギーを意識すべきである。 実際,イスラム国やタリバンのアフガニスタンは,「亡国を制度・文化的な強迫で押し返そう!」の立場として了解できるのである。 |