Up | 需要があるのか? | 作成: 2007-12-09 更新: 2007-12-09 |
○「教職大学院」 教育内容で見れば,「教職大学院」は教員養成系大学院と区別がつかない ( 教育的意義・必要性は?)。 よって「教職大学院」は,大学にとって複雑な取り組みなる。 そしてこの複雑さは,(いまも既にそうだが) 将来大きな負荷になってくる。 (「二兎を追う者は一兎をも得ず」) 併せて,需要のないことが誰の目にも最初から見えている。 ──「教職大学院」成算の思惑では,つぎの仕掛けが頼みの綱になっている:
○「教員研修」(「免許状更新講習」) 「免許状更新講習」が制度になったことで,教員養成系大学・学部の「教員研修」は「免許状更新講習」で目一杯になる。 したがって,「教員研修」は「需要」では問題にならない。 これが問題になる形は,「実施能力・体制づくり」である。( 体制づくりは可能か?組織はどうなる?) ○「一般公開講座」 「法人化」の国立大学は,公開講座をやっていないとダメな大学にされる。 この強迫感があると,公開講座は (1)「公開講座先ずあきり」と (2) 思惑 ("If we build it, they will come.") で立てられるようになる。 ── (1) 教育的意義・必要性と (2) ある程度確かな需要観測をもとに公開講座を考える,という姿勢はなくなる。 公開講座の本来のものは,「教員の自発による公開講座」である。 これは授業者個人の裁量であるので,「教育的意義・必要性」は公開講座が問われる形にはならない。 この場合の問題の形は,主に「収支計算・コスト対パフォーマンス比」である。この形で問題になったときに「思惑先行」が言われることになる。( 収支計算は? コスト対パフォーマンス比は?) 一方,トップダウンで降りてくる「大学評価のためにする公開講座」の場合は,「教育的意義・必要性」は別の意味で問われない。すなわち,この場合には,「教育的意義・必要性」は最初から考えられていない。 「実施」の形づくり (大学評価に対するアリバイづくり) だけが求められている。 |