Up 需要があるのか? 作成: 2007-12-09
更新: 2007-12-09


    生涯学習教育の需要を,つぎの「生涯学習教育」の各カテゴリーについて考える:

      教職大学院   一般  
      正規  
      非正規 教員研修  
      一般公開講座  
      ( 人材育成型, 自己充足支援型)


    ○「教職大学院」

    教育内容で見れば,「教職大学院」は教員養成系大学院と区別がつかない ( 教育的意義・必要性は?)。 よって「教職大学院」は,大学にとって複雑な取り組みなる。 そしてこの複雑さは,(いまも既にそうだが) 将来大きな負荷になってくる。 (「二兎を追う者は一兎をも得ず」)

    併せて,需要のないことが誰の目にも最初から見えている。
    ──「教職大学院」成算の思惑では,つぎの仕掛けが頼みの綱になっている:

    1. 入口・出口の敷居の低さ (入試筆記試験なし,修論なし)
    2. 学部生も受験できる (従来型大学院ではなく教職大学院を受験)
    3. 授業料補助 (大学基金から支出)
    4. 教育委員会との連携

     参考 : 道教育大と道教委,「教職大学院」で覚書 (読売新聞, 2007-05-29)
    道教育大「教職大学院」札幌など3校で開講へ (読売新聞, 2007-11-30)


    ○「教員研修」(「免許状更新講習」)

    「免許状更新講習」が制度になったことで,教員養成系大学・学部の「教員研修」は「免許状更新講習」で目一杯になる。 したがって,「教員研修」は「需要」では問題にならない。
    これが問題になる形は,「実施能力・体制づくり」である。( 体制づくりは可能か?組織はどうなる?)


    ○「一般公開講座」

    「法人化」の国立大学は,公開講座をやっていないとダメな大学にされる。
    この強迫感があると,公開講座は (1)「公開講座先ずあきり」と (2) 思惑 ("If we build it, they will come.") で立てられるようになる。 ── (1) 教育的意義・必要性と (2) ある程度確かな需要観測をもとに公開講座を考える,という姿勢はなくなる。

    公開講座の本来のものは,「教員の自発による公開講座」である。
    これは授業者個人の裁量であるので,「教育的意義・必要性」は公開講座が問われる形にはならない。
    この場合の問題の形は,主に「収支計算・コスト対パフォーマンス比」である。この形で問題になったときに「思惑先行」が言われることになる。( 収支計算は? コスト対パフォーマンス比は?)

    一方,トップダウンで降りてくる「大学評価のためにする公開講座」の場合は,「教育的意義・必要性」は別の意味で問われない。すなわち,この場合には,「教育的意義・必要性」は最初から考えられていない。 「実施」の形づくり (大学評価に対するアリバイづくり) だけが求められている。