Up 教育勅語 作成: 2010-03-16
更新: 2010-03-18


ここでは,『教育勅語』をとりあげる。
(『教育勅語』『五箇条の御誓文』のテクスト)

『教育勅語』は,昭和の軍国主義の時期には国民に暗誦を課すものになった。
これを暗誦するのがどんな感じのものかと自分で試してみたが,文体が漢文ベースなので,言い回しも論の展開も簡潔で,そして文にリズムがある。意味をとるのに苦労しないだけの学識が必要だが,意外と読みやすく覚えやすい。暗誦もリズムにのって簡単にできるぐあいになっている。──『五箇条の御誓文』も同様。

『教育勅語』の論調を『五箇条の御誓文』のそれと比較してみる。
『五箇条の御誓文』では,天皇は<国の変革を進めるリーダ>になっている。
「朕」が語る相手は「衆」である。
一方,『教育勅語』では,天皇は<徳を示す存在>である。
「朕」が語る相手は「臣民」である。

天皇が<徳を示す存在>になるのは,「王=神儀官」の存在を保つ者であることによる。
「王=神儀官」は古代王朝の通常のあり方である。 マヤ文明などで典型的に見られるように,王は神の儀式において身をもって自らを痛めつける者を務めるが,この種のことが王という存在の条件を構成している。

「王=神儀官」の体制は,王位を武力で得た体制と対比される。
中国の歴史上の皇帝は後者であり,「易姓革命」のような合理化はされても,徳を示す存在にはならない。 イギリスの国王も,徳を示す存在ではない。
北朝鮮の金体制は,「王=神儀官」の体制である。 金王朝は,国民に対しつねに徳を示す存在として立たねばならないように,できあがっている。
そして日本の歴史は,神儀官である王と武力でなった王の二本立てでやってきたことになる。 そして,明治維新で,「王=神儀官」の一本体制の形になった。


神儀を行う存在は,格別な存在ということになる。 国民とは一線を画する存在として立つものになる。
実際,『教育勅語』は,《天皇の系統を格別に示しつつ,必要な徳を示す》というぐあいになっている。
たとえば,つぎのくだり:
   斯の道は,實に我が皇祖皇宗の遺訓にして
子孫臣民の倶に遵守すべき所
ここでは,「我が皇祖皇宗」で天皇の系統を別格なものと示し,「子孫」と「臣民」を区別し,そして「倶に」と進んでいくところに,注意しよう。 「我が」は "our" ではなく "my" である。

ひとの組織は複雑系であって,どんな形にせよ<徳を示す存在>を要し,存在していなければ自ずとつくり出してしまう。 この存在がじょうずにつくり出されないとき,北朝鮮の金体制のような恐怖政治の体制ができあがってしまう。
今日,天皇の制度が概して好意的に受けいられているのは,<徳を示す存在=国民と一線を画する存在>としてはかなり上手につくられているためである。 この意味では,「象徴天皇」をつくった人たちの知恵を大いに評価してよい。

翻って,天皇の制度の難しさは,<徳を示す存在>の含意となる「国民と一線を画する存在でなければならない」にある。
軍国主義時代の反省から,皇室を別格にしないことがよいことであるという考え方がずっと主導してきたが,これの顛末としての現前は,<徳を示す存在>がひじょうに微妙なバランスの上に保(も)つものであることを示している。

天皇の制度は,「複雑系としての<人間の組織>の力学」という観点から,学術的に研究されねばならないものである。 これの論をイデオロギーや諸々の短絡的な考え方に主導させてしまうのは,極めてあぶない。