Up | 主体的であることの困難 | 作成: 2011-04-03 更新: 2011-04-03 |
計算の方法を自らもっていない者は,ひとの言うことに頼るのみとなる。 先ずは,<権威>の言うことに頼ろうとする。 政府・マスコミ・学者が,このときの<権威>である。 しかし,<権威>の言うことが何かおかしいというふうに感じられてくる。 実際,<権威>の計算は,安全/危険度の計算を専らとするのではなく,種々の<都合>を織り交ぜたものになるから,どうしてもおかしくなるのである。 こうして,<権威>に不信感が持たれてくる。 そこで,ネットで,何が本当なのかをさがそうとする。 しかし,ネットに見出されるのは,<混沌>である。 言っていることがてんでバラバラの論・流説の氾濫である。 これに翻弄されつつも,自分に適った論を求め,一つを定め,自分の立場にする。 例えば,自分が身動きのできない境遇にあるものは,身動きしなくてよいことを合理化する論 (「放射能数値は安全」) を求め,一つを定め,自分の立場にする。 「危険」を発信することの意味も,この力学の中で考えねばならない。 「危険」の促しに応ずるものは,ごく少数である。 2011-04-01 の朝日新聞に,「避難渋滞,津波被害を拡大,促しても車降りる人少数」と題する興味深い記事がある。 部分的に引用すると:
これをどう読むかであるが,ここではつぎのように読みたい: |