Up 詰所 作成: 2024-01-25
更新: 2024-02-24


      『美唄市百年史』,pp.411,412
     国鉄美唄駅を起点とする美唄鉄道には、常に鉄道警戒係員が乗客の警戒監視にあたり、不審者は途中下車させて入山を阻止した。
    道路を利用する者は、我路市街地から美唄川を渡った鉱業所の入口に並ぶ、番町詰所と巡査駐在所の前を通過しなければならない。
    「社会主義者や坑夫引抜きなどがこの監視網にとらえられると、足腰の立たなくなるほど袋叩きにされて追い出され」た (「炭鉱に生きる」)。
     各集落の詰所には労務職員と鉱夫の中から選抜された配下の者が二四時間警戒にあたり、従業員の出稼督励をはかる一方、家庭状態から思想・交友関係にいたるまで監視記録していた。

    ここに引用されている
     「 社会主義者や坑夫引抜きなどがこの監視網にとらえられると、足腰の立たなくなるほど袋叩きにされて追い出され」た (「炭鉱に生きる」)。
    は,筑豊の話である。
    『美唄市百年史』の著者がこれをここで引用しているのは,三菱炭鉱がこうであったと読者に思わせたいが,証拠を得られないためである。

    『美唄史百年史』は,『炭鉱に生きる』を頻繁に引用しているる。
    その引用は,「証拠を得られないが,読者にそうだと思わせねば」が著者の事情である。
    『美唄市百年史』を読むときは,これがつくられた時期が左翼イデオロギーが盛んな時であったことを,念頭に措く必要がある。

『美唄市百年史』, pp.411,412 から引用:
三菱美唄鉱業所入口付近 (1921年)



1935年の地形図から



    炭鉱は,炭住からひとつの町ができる。
    大きな自治体の役場は,住民サービスの窓口として支所を設ける。
    これと同じことで,大きな炭鉱は,総務部が住民サービス窓口の派出所を設けることになる。
    これが「詰所」である。

    三井美唄炭鉱の場合は,労務課の派出所であり,「外勤(所)」と呼ばれた。
    それは,職員用と鉱員用に,つぎの2箇所に置かれた。
(背景の地図は Google Map から取得, 2011-04-18)